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トゥルー・グリット@OSシネマズミント神戸


1969年の西部劇映画『勇気ある追跡』のリメイク版。個人的には『ファーゴ』や『ビッグ・リボウスキ』が印象に残っているジョエル&イーサン・コーエン兄弟が監督・製作・脚本を手がける。





その粗筋はとてもシンプル。父親を撃ち殺された14歳の少女/マティ・ロスが、犯人への復讐を果たすべく、自ら雇った保安官とともにホシを追跡するという話。1969年の『勇気ある追跡』では、雇われ保安官をジョン・ウェインが演じていることもあって主役は完全にそちらだったんだろうけど、今作では一貫して14歳の少女/マティ・ロスを中心に描写されている。

さすがにセットも多いとはいえ、アメリカという国の広大さを痛感させられる原風景の描写や、その大地を疾駆する駿馬の美しいプロモーション、父への仇討ちへ真っ直ぐに突き進む少女の健気さ、そして一見グダグダなようでいて、やるときゃやる!ってな感じの保安官の格好良さまで、まさに西部劇の美学とでもいうべきエッセンスが綺麗に散りばめられている。テンポの良い会話と場面転換に惹き込まれ、ふいに勃発する銃撃戦に息を呑み、そして訪れるクライマックスにハラハラとさせられる良作。ある意味ベタベタだけど、その要素を綺麗に消化し流れるように展開してみせる監督の巧さが、役者陣の演技に劣らず光って感じられた。


| かっつん | 22:09 | comments(0) | - | pookmark |
最近観た映画


天国の口、終わりの楽園
2001年公開のメキシコ映画。ガエル・ガルシア・ベルナル、ディエゴ・ルナ主演。若さという刹那の輝きと痛いような感傷がメキシコの美しい風景と交じり合うロードムービー。二人の若く美しい(しかしそのアホさ加減はほとんど小学生並)青年と、一人の人妻とが辿った数日間の軌跡。口から出まかせに言った「天国の口」という美しいビーチに向かう旅。青春を美化するわけでなく、しかしその無二の瞬間を痛感させる情景、出来事が愛しい。その行動原理が些かエキセントリックにも映るスペイン人女性のルイサだが、後日譚のような形で明かされるその背景が伴うことで、一気にその存在感が増してくる。決して甘くない余韻も含め、非常な心地よさを湛えた良作だった。





KILL BILL
何故かいま、キル・ビル。暗殺集団に命を狙われアタマに弾丸を喰らったものの生き延びた女(ユマ・サーマン)が、自分をリンチしたヤツラに復讐してまわるというお話。横溢するヴァイオレンス、血潮の洗礼を受ける異文化コミュニケーション。





チェ・ゲバラ&カストロ
キューバ革命へ邁進するフィデロ・カストロと、その最中でのエルネスト・チェ・ゲバラとの出会い、共闘のサマが描かれる。武装蜂起→失敗→投獄→亡命→再びの武装蜂起→ゲリラ戦→革命へという流れが矢継ぎ早に展開し、その速さの意味で、人間的な部分への感情移入の余地は少ない。初めに「若干の脚色はあるものの、本作中の出来事・事件は調査・確認された史実に忠実に再現されている」旨も出てくるが、各人物の人間的な魅力を描く、というよりは、革命の足跡を記すニュアンスのほうが強いように感じた。有名なゲバラ最後の写真(実際は目を見開いていたようだが)にしてみても、その再現の度合いは細部までかなり忠実。よく出来ているだけに、映画作品としては全体にもう少しヴォリュームが欲しいなと感じた。





ドット・ジ・アイ
ガエル・ガルシア・ベルナル主演のエロティック(?)サスペンス(?)。若き資産家の男に見初められ、彼との婚約を目前に控えた女性。美しいが裕福ではなく、むしろ貧しく粗野な言動が目に付く女は、その過去に癒えぬ傷を負っていることも示唆される。そこへ接近するのがガエル。執拗に彼女に付きまとうその背後に、これまた何かあるなと思わせながら、明かされず、作品はクライマックスの破調へと進む。全90分のうち3分の2は駄作。ラスト30分の「仕掛け」で若干スッキリはするものの、そこへ至る積み重ねの粗雑さはちょっと、、、主演の が、もっと超絶に美しいが、あるいは徹底してビッチだったら作品の印象も変わったかも。その辺の中途半端な演技演出展開が全体的に×でした。





百万円と苦虫女
08年公開の邦画。SAVVYちっくなジャケットに反して(?)の良作。バイト先の同僚にルームシェアを持ちかけられ、契約が決まったと思ったらその同僚の彼氏が一緒に住む前提だったということを知らされ、かと思ったら引越し当日にはその彼氏のみが居て「あいつとは別れた。だからあいつは来ねぇよ」とぶっきらぼうに言われちまい、あげく自分が拾ってきた子猫をその男が勝手に捨ててしまい、そのことに腹をたて男の荷物をもれなくうち捨ててしまったところ訴えられ罰金刑を喰らって「前科持ち」になってしまった佐藤鈴子(蒼井優)が、実家にも居りずらくなり、だーれも自分を知らない土地に移り住んではバイトをし、とりあえず百万円たまったらまた別の場所へと引っ越す、というお話。とりあえず、配役の妙が活きている。最初に移った海の家の主人(斎藤歩)、続く山間の村でのピエール瀧をはじめとする桃農家の皆さん、そして地方都市のホームセンター園芸コーナーでの先輩役(森山未来)と、配役が絶妙にウマイ。なによりも、これは蒼井優じゃなきゃ無理だろ、というぐらいに蒼井優がイイ。苦虫女の名のとおり「困った、、、という顔で笑う」蒼井優の引力が◎。服装ともども真似して痛い目に合いそうな女子多数が出る(出た)だろう、魅力的な存在感が光っておりました。

 

| かっつん | 23:43 | comments(0) | - | pookmark |
最近観た映画

ダークナイト
2008年の米・英共作映画。前作の『バットマン・ビギンズ』は未視聴だが、それでも存分に楽しめた。完全にイカれたジョーカーのヤヴァさコワさが圧巻。次々と仕掛けられる破壊工作のほぼ全てに、人間の心の弱さや醜さをくすぐる要素が埋め込まれているがために、引き起こされる暴力、爆破、崩壊のいちいちが途轍もなくヘヴィに効いてくるという。ラストにかけて「人間の本質は必ずしも悪でない」と証明するような展開も織り込まれてはいるものの、全体を深々と覆う気配は終始シリアスで、ダークな余韻に満ちていた。その重厚な感触に痺れまくった2時間半。むちゃくちゃ面白かった。






ララピポ
奥田英朗原作/宮野雅之監督の2009年作。世の中にゃごまんと人間がおりまして、どれだけクソったれな状況でもそれぞれに生きている、ドブみたいな境遇であれそれぞれに生きている、そんな小さな光を描こうとしている、のか、、、だけどもとにかく終始において撮り込みの浅さばかりが印象的で、まったく惹かれるところなく終わってしまった。






ヒトラー〜最後の12日間〜
2004年公開の独・墺・伊共作映画。邦題のとおり、ヒトラー自決の直前が描かれる。自らの「最後」を目前に、袋小路の戦況に癇癪を起し、完全に憔悴しきったヒトラーの姿がとにかく生々しい。ソ連軍が侵攻し、地獄と化したベルリンの様子もさることながら、映画のほぼ全編を占めるのはヒトラーをはじめ、ナチスドイツの将校らが身を潜める地下要塞であり、地上の阿鼻叫喚とはまるで隔絶されて見えるその青白く静謐な空間が印象的。自決が行われていくまさにその瞬間まで、その静かに発狂していく空間のディティールは変わらず、そのある種異様な雰囲気のリアリティーには特筆すべきものがあると思った。






イングロリアス・バスターズ
タランティーノ監督による2009年アメリカ映画。ブラピ演じるアルド・レイン中尉が率いるアメリカ軍秘密特殊部隊"名誉なき野郎ども"が、ナチスドイツを血祭りにあげる、という映画、、、だという前知識で見ていたらどっこい、ある意味別方向のネチっこさがある作品で、それがとんでもなく面白かった。ブラピのややオーバーアクション気味な胡散臭い存在感もさることながら、この作品のある意味主役は、クリストフ・ヴァルツ演じるSS将校であり"ユダヤ・ハンター"のランダ大佐ではなかろうか。冒頭、フランス片田舎の農夫宅に現れて、主人をネチネチと追い詰めていく彼の話法がとんでもない緊張感を生んでいる。ぜーんぜん関係ない話をしてるようでいて、その実相手をどんどんと追い詰めていく、不用意な一言が即破滅に繋がっていくような緊張感がタマラン。対するバスターズによる血祭り作戦はほとほとカオティックなヴァイオレンスに満ちており、アタマの皮は剥ぐわ野球のバットで殴り殺すわで野蛮きわまりない。つまりは叫び出したくなるような緊張感と、そのピークが破裂した瞬間に訪れるヴァイオレンスの苛烈さ、そのバランスというか構成が素晴らしくデキていて、興奮する。戦時下という時代がハマったのか、タランティーノ映画がこんなに面白いと思ったことはない。最後に炸裂する大爆発、その奇的な美意識を全開に感じる画面が圧巻でした。傑作。






戦場でワルツを
2008年製作、イスラエルのアニメーション映画。過去に自らが兵士として従軍した経験を持つ監督アリ・フォルマンによるドキュメンタリー。レバノン内戦において欠落した「記憶」を探るため、当時の戦友らを訪ねるイスラエル兵の姿が描かれる。茫洋としながらふいに覚醒する戦場の記憶、その白昼夢めいた感覚が、アニメーションという媒体で非常にうまく表されていた。と同時にその感覚は、誰かが誰かを告発する、という明確な図式を曖昧なものにしているようにも見えた。
フォルマンの記憶はやがて、その内戦の中で行われた「サブラ・シャティーラの虐殺」へと迫っていくが、ともすれば無責任とも見える(あくまで虐殺を実行したのはキリスト教系右派政党ファランヘ党だと言っているようにも見える)その無感覚さが、逆に内戦の現状を見せているようにも感じた。フォルマンの両親はナチスのホロコーストを生き延びたポーランド人であるが、作中で「サブラ・シャティーラ虐殺」を伝える記者が、生き延びた人々の表情をそのホロコーストに例える場面があり、そのあたりに一種のメッセージ性は感じた。しかし中東戦争についてほとんど何も知らないに等しい状態で観ると、あからさまなメッセージ性がない(ように見える)だけに、道徳的な善悪を考える以上の思考は停止してしまっていたとも思う。


| かっつん | 21:55 | comments(2) | - | pookmark |
ルネ・ラルー コンプリートDVD-BOX

買ってしまいましたの。ルネラルーを知ったのはわりと最近。2008年12月、京都みなみ会館でおこなわれた『ヨーロッパ・ ファンタスティック・ナイト』でのこと。午前5時っちゅう時間もあってかそこで観た『ファンタスティックプラネット』はほんとーに異様な魅力を放っていた。このBOX SETは本当の意味ではCOMPLETEじゃないんだけど、手元に置いて愛玩するには十二分のカオスが詰まっとりますよ。






 
| かっつん | 22:40 | comments(0) | - | pookmark |
最近観た映画
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パンズ・ラビリンス
2006年公開のメキシコ・スペイン・アメリカ合作映画。監督は『ヘルボーイ』などで知られるギレルモ・デル・トロ。日本版予告編は「一人の女の子が体験するちょっぴりスリリングなファンタジー」といった、それこそ不思議の国のアリスみたいなイメージで作られてたが、実際は想像以上にグロテスク、かつダークなテイストに満ちている。

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緑がかった漆黒の中を這う深紅の血、というオープニングが刻むイメージそのままの、凄惨なダーク・ファンタジーという形容がピタリとはまる作品。フランコ独裁政権下のスペインの、暴力と憎悪が蔓延り横溢する世界で、その酷薄な現実から逃れるように不思議の世界へと入り込んでゆく少女・オフェリア。だけどもそこで待ち受ける地下世界もまた、彼女を優しく受け入れるのではなくむしろ、強烈な異物感でもって圧倒する。

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自らの命すら代償に、戦い、様々な選択を行っていく少女の姿はある種のビルドゥングスロマンとも言えようが、どこまでも救いのない現実と、比例するように彼女を追い込んでいく幻想世界での酷薄な「試練」の数々は見ていてあまりにも、辛い。それだけに、少女に用意されていたラストは「ハッピーエンド」と見たいのだが、、、オスカーで撮影、美術、メイクアップの三冠を受賞したヴィジュアルともども、非常によく出来た作品だった。







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紀元前1万年
2008年公開作。ローランド・エメリッヒ監督だしそれなりに凄い映像が見れるだろうという期待を見事に裏切る駄作。先にキングコングで驚嘆した映像技術と比べると、それこそタイトル同様に一挙退化したようなお粗末なヴィジュアルエフェクト。もっと動物がワーッと出る圧巻のスペクタクルを期待していた身としては、古代エジプト王朝(みたいなの)が絡んでくるストーリーにしてもただただお粗末さばかりが目についてしまった。






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ぐるりのこと。
梨木香歩の原作を、橋口亮輔の監督により映画化した2008年公開作。

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本当にどこにでもありうる、一組の夫婦を追った物語。結婚し、子を授かり、しかし早くにその命を失ってしまった夫婦の喪失と再生が、十年という歳月を通して丁寧に描かれている。一組の男女が、単なる男と女ではなく「夫婦」として生活を営むことのかけがえのなさが、丁寧に拾われ繋がれていく画面を通じて静かに降り積もり、やわらかに心を満たしていく。正直リリー・フランキーってこれまでは「おでんくん」とか書いてる変なオッサン、ぐらいに思ってたんだが、この作品での存在感は絶品。同じく木村多江がこんなにも美しい光に包まれて見えたことはこれまでにない。場面によってはコントとしか思えないユニークなキャスト陣だが、それが妙な毒っ気ではなく、しっかりとした存在感で画面を支える形になっているところに、この監督の並でないセンスを感じたりもした。ちょい泣きかけた。すごく良かった。







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パコと魔法の絵本


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中島哲也監督による08年公開作。この監督の「嫌われ松子の一生」は観てないんだが、かなり確固たる作風をもった人のよう。とある施設を舞台に、事故のためわずか1日しかその記憶を留めておけない女の子・パコ、「お前が私を知ってるってだけで腹が立つ!」ってのが口癖の強烈な鬚じじいの大貫、この2人を中心に回り回る物語。先の『ぐるりのこと。』とは対照的に、役者の個性(毒っ気)全開で、押しの一手で突き進む展開に当初はアイタタな感覚がかなり強い。が、CGという形で凄まじい勢いで差し込まれる"魔法の絵本"の世界が次第に作用を始め、当初のドぎつい色彩を強引にネジ伏せる勢いで、中盤からラストに向けては一気に引き込まれていった。聴けばこの監督の作品って、どれもこんな感じで惹き込まれていく感じなんだとか。見終わったあとは素直に、胸があったかい気分に包まれていた。良い映画。

| かっつん | 23:01 | comments(0) | - | pookmark |
アリス・イン・ワンダーランド@109シネマズHAT神戸


菅井汲、中山岩太の展示を鑑賞後、レイトショーで観てきた。ティム・バートン監督による、不思議の国のアリスの後日譚とでもいうべきストーリー。この奇天烈な、それでいて不思議な濃密さで調和された世界を描くのに、この監督ほどの適任はいなそう!という期待を裏切らない内容。19歳に成人したアリスが放つ少女性、内面に携えた深い沈鬱と密接にリンクする"キチガイ"道化の帽子屋(ジョニー・デップ)を筆頭に、おそらく「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」本来のファンを納得させるに十分だろう作りこまれた世界/キャラクター設定が魅力的。

おそらく〜だろうと書いたのは、自分がその辺をよく知らないからで、そのためか作品の細かな妙までは眼がいかず、結果的に108分という上映時間はやや短いように感じた。ちなみに今回の劇場では3D上映のみだったため、期せずこれを初体験することになったんだが、表立って感じたのは「浮き上がった字幕は見難い」とか「メガネが重い」「画面が暗い」といったようなことで、肝心の効果や視覚的な恩恵についての驚きみたいなものは薄かった。

| かっつん | 23:18 | comments(0) | - | pookmark |
最近観た映画
ゆっくり映画鑑賞できる環境が出来たので、近くのレンタルショップに通い始めるようになったここ最近。旧作が100円なのはいいんだが、とにかく韓流に偏っておりおっそろしく品揃えが悪いのがイタい。とりあえずちょっとでも興味があるモノを探し出して借りていってるが。



KING KONG
そんな品揃えなのもあって半ば変なノリで借りたんだが、意外や面白かったのがこれ。巨大ゴリラが美女を片手に塔を上ります、というシーンしか頭になかったんだが、そもそも生け捕りにされたゴリラが亜米利加に連れて来られるまでにたっぷり2時間、おそろしいまでの映像技術で「もうやめて!」という過積載っぷりの活劇が絶海の孤島で繰り広げられるの。これで主役がニコラス・ケイジとかだったら目もあてられんが、そのへんの配役もゼツミョーで、そもそもがキャラ立ちし過ぎなジャック・ブラックに、文化的な匂いを添えるエイドリアン・ブロディの組み合わせ(噛み合ってないが)が、妙にそそられる。ニコール・キッドマン系の顔立ちのナオミ・ワッツもこの作品においては色っぽい華やぎがうまく立っていて良かった。






『潜水服は蝶の夢を見る』
07年のフランス映画。ある日突然、脳溢血で倒れ全身麻痺に陥ったELLE誌の編集長ジャン=ドミニク・ボビーを巡る、実話に基づいた物語。病室で目覚めた彼は、ロックト・イン・シンドローム(閉じ込め症候群)と呼ばれる状態に陥っている。意識は明晰だが、言葉はおろか、身体の中で動かせるのは左目のみという状態。探ることすら不可能な暗闇に覆われた自らの肉体。自ら命を断つことも、死にたいと漏らすことすらも出来ないその絶望的な感覚を表現するカメラワークが素晴らしい。触れることの出来ない景色に飛び交う色彩、応えることの出来ない人々のやさしさが、残酷なまでに美しい描写で表現されている。本当に、死にたくなるぐらいに美しい。なんというかこの作品は、瞬きだけで自伝を綴ったという男の、ほとんど奇跡とでもいうべき事実自体の凄さもさることながら、そうした表面を劇画的に装飾する安易な「物語化」でなく、そのとき一人の人間が置かれたであろう感覚や、その場所から見えたであろう情景を、ある意味では淡々と綴ったその静かな透明感こそに魅了された。これは本当に良い作品だった。






THE DEPARTED
06年公開のアメリカ映画。一時期マーティン・スコセッシの作品を立て続けに見ていた時期があったが、やっぱりこの人の作品には好みのイロがある。アブナイ世界を安全な場所から覗き見るスリル、自分が決して入り込むことのできない世界に対する憧憬といったものが入り混じる、ちょっとした自虐的な興奮を覚える。
本作は香港映画『インファイナル・アフェア』のリメイクなのだが、それもあってか作中においてはこの世界ならではの仁義を匂わせる群像模様よりも、複雑に張り巡らされたサスペンス的要素や、苛烈な暴力描写のインパクトのほうを強く感じた。ストーリー的にみると、オリジナル版と比べてラストの結末に否定的な意見が多いのは良く分かるが、個人的には「ハリウッド的だ」とか特に思わんかった。それよりも、舞台は終始イギリスなのに、なぜか最後までその辺の匂いを画面から感じなかったのが不思議ではある。







Ed Wood
ティム・バートンとジョニー・デップが組んだ94年の作品。史上最低の映画監督、の呼び声高いエド・ウッドを題材にした映画。全く売れない、がために資金繰りにはたいそう苦労した、というただ一点を除けば、一生を好きなモノ信じるモノに投入できたその人生は、ある意味幸せなのかもしれない、、、とすら思わせる、バートン監督の敬愛に満ちた画作りが魅力的。エド役を演じるデップもさることながら、かつてのドラキュラ役で名を馳せた怪奇スター/ベラ・ルゴシ役のマーティン・ランドーが魅力的。十分情緒的だが、余分な感傷が溢れすぎることのないモノクロームの画面が、鑑賞後に心地良い余韻を湛えておりました。







es
高額の報酬に釣られてやって来たヒトビトが、看守役と囚人役に分けられ数日間を過ごすという社会実験に参加し、、、という01年公開のドイツ映画。観始めて数分で、そのカット割の粗雑さにクソ映画の感触を覚え、結局その予感どおりの駄作だった。設定は面白いのに、なんだかその構想が決まった時点で思考停止してしまったような粗雑な作りにとにかく萎える。合間合間に差し込まれる女(ある意味この人が一番サイコ)との情交シーンの無意味さしかり、せっかくの素材をダメダメにする作りの粗さがとにかく気になってしかたなかった一品。 

| かっつん | 23:45 | comments(0) | - | pookmark |
かいじゅうたちのいるところ@OSシネマズミント神戸

先週15日のこと。まさかのyeah yeah yeahs大阪公演チケットSOLD OUTにより、従前から用意していたP休がムダに〜!!!という緊急事態に陥ったため、まさにその当日に公開がはじまった、モーリス・センダック原作の普遍的名作の映画版「かいじゅうたちのいるところ」を観に行くことに。




監督はスパイク・ジョーンズ。先のYYYsのKaren O.が劇中サントラを手掛けていたりする。うちにもあったこの絵本、原作の良さは当然として、今回映画化されたこの出来もまたすばらしい!よくもあの世界を壊さずに、これだけ丁寧に丁寧に膨らませたなぁと、めったに緩むことのない涙腺も大いに感激。





まぁむちゃくちゃ可愛らしい顔立ちのマックス少年が自宅を飛び出し小舟に乗って、かいじゅうたちの住む不思議な島に辿り着く序盤のくだりにしても、その背景としてお姉ちゃんは友達にとられ、ママまで新しい恋人にとられてでまともにかまってもらえないマックスの寂しさやせつなさみたいなところがものすごくよく伝わってきて、思わずキュンとなる。そしてそして、マックスが辿り着いた不思議な島でのかいじゅうたちも同様に、彼とまったく同じように、それぞれの孤独や寂しさといった繊細な感情を内に抱えていることが絶妙に描き出されていく。これがまた、ホント痛いぐらいにまっすぐに伝わってくるの。





怒りっぽいのもいれば泣き虫なのもいて、妬みや怒りや悲しみもまた抱えきれないほどに持ち合わせる"かいじゅう"たち。当然、人間とおんなじでなんでもうまくいくわけない。むしろギクシャクとしてうまくいかないことのほうが多い。愛されたい、という感情の裏返しで時に癇癪を起こして暴れまくるキャロルなんてば、まさにマックス少年を鏡で映したよう。"大人"の世界からみればその行動は一見ムチャクチャで"手に負えない"ものではあるんだけど、その背後に在る純粋な感情に触れたとき、なんともたとえ様のない力でグッと胸が鷲掴まれる。人間だけの世界だと、どうしても嘘くさくなってしまうだろうそうした純粋な感情が、ある意味人間以上に人間らしい感情表現をみせる「かいじゅうたち」の動き/表情によって、本当にどんな言葉よりも雄弁に描き出されていたのが本作の本当にすばらしいところ。スパイク・ジョーンズってば天才!!!と思わず嘆息したのでした。





そういえばエンドロールでポール・ダノの名前があったので、「え?どこ!?」と思って後で確認してみたら。かいじゅうアレクサンダーの声で出演していた。。そうしてみるとこのアレクサンダー、ポール・ダノとリンクするところだらけでまさにハマり役だと思ったり。とまれ、絵本とおんなじで、何度も繰り返し観たくなるような、本当に良い映画でありました。


| かっつん | 22:56 | comments(0) | - | pookmark |
脳内ニューヨーク@シネ・リーブル神戸


『マルコヴィッチの穴』の脚本家/チャーリー・カウフマンによる初監督作品。以下作中の出来事に触れており、そういう意味ではネタばれしているのでイヤな人は読まないように。と言っても粗筋が分かることにそれほど大きな意味はないかもしれないが。

フィリップ・シーモア・ホフマン演じるケイデン・コタードは人気劇作家。なのだが、妻でありこちらも名の知れた藝術家であるアルバが、娘のオリーヴを連れて「申し訳ないけれど、しばらく距離を置きたいの」と出て行ってしまう序盤から早くも暗転。そこからはひたすらの転落。そもそもがひび割れていそうであった精神が、急直落下で砕けていくサマが非常にいたわしいケイデンだが、そんな渦中で彼は別名「天才賞」とも言われるマッカーサー・フェロー賞を受賞。そこで獲得した莫大な賞金をもとに、実際のニューヨークの中に、もう一つ彼のアタマの中にあるニューヨークを顕現してしまおうという試みにいたる。だけどもこの時点で既にどこまでが現実で、どこまでが妄想によるものなのか、そのラインは相当曖昧になっている。そうした混沌の中で物語(=混迷)はとどまることなくどんどんと進行し、時系列に沿って「物語」を整理しようとすると、軟弱なアタマはたちまちショートをきたす。が、なんとなーくそうした些事を外しても、作品テーマの本質は自ずと見えてくるようにも感じた。


中盤以降でひたすら強調して投げ掛けられるのは
「人の一生は総じて悲劇だ。そこに一切の例外はない。ならば速やかな死を・・・」
といったかなり重い主題であって、救う手もすり抜けて緩やかに、しかし確実に落ちていくケイデンの肉体が精神が、フィリップ・シーモア・ホフマンの巧みな演技を通じて画面からひたひたとこちらの精神を圧してくる。たぶんケイデンは「もう一つのニューヨーク」を創り出す中で、やがてその架空の産物が自動的に動き出し、「もう一つのあったかもしれない自分(という幸福な物語)」を描き出すことを無意識下で期待していたのかもしれない。そうだとすれば、架空のニューヨークにおいてケイデン役を演じた役者が自殺してしまったり、終いには結局全ては「自分の考えたこと」ではなかった、つまりはオリジナリティ(=アイデンティティ)の完全否定とも取れる展開は、先の視点から見ればあまりにも救いがない。そういう意味では非常に重たい映画だが、その朽ちていくサマがゆるやかであるせいか、その沈鬱とも言うべき重さが、単なる不快として残らないところにこの映画の良さがあったようにも思う。

| かっつん | 23:07 | comments(0) | - | pookmark |
ウルトラミラクルラブストーリー@シネリーブル梅田


いきなり周辺情報から書き始めると、監督の横浜聡子は前作「ジャーマン+雨」で、自主制作ながらも全国劇場公開⇒第48回日本映画監督協会新人賞受賞というナカナカ恵まれたスタートを切っている。ちなみに作品で主役を張った野嵜好美は、自分が山下淳弘を知るきっかけとなった短編作『道』における強烈な"演技"で自分の中で半ばトラウマ的な存在感をもって君臨していたりする……


そんな横浜聡子監督の第2作目。青森出身の彼女が同じく同郷の松山ケンイチを主役に、その青森の農村を舞台に撮った一風変わった人間劇。婆っちゃのもとで農業の手伝いごとをする水木陽人(みずきようじん)、というのが松山ケンイチの役どころ。その陽人が、東京から赴任してきた保育士の町子先生(麻生久美子)に一目惚れしてべったべたに付いて周るというのが物語の外殻。町医者が「脳の回線が人とは違う」というように、軽く知能障害がある陽人は、良く言えば子どもがそのまま大きくなったような無邪気さに溢れた人間なのだけれども、考えてみりゃ大きな身体した大人が走り回る、聞き分け持たずに喚き騒ぐ、癇癪起こしていなくなる、、、というのは周りの人間からすればやっぱり少なからず迷惑なもの。彼が一目見たその日から一切のオブラート無しにその好意をアピールする町子センセイにしてみても、やっぱりそれは同じ。仕事場に現れる陽人に対し、はじめは遠慮気味な困惑を、そして長くを持たずにハッキリと「迷惑です」と伝えることになるんだけども、とにかくここに至るまでに陽人が発散する無闇に大きな行動エネルギーに観手のコチラも翻弄され、あげく全編を覆う「これは本当に日本語か!?」というほどに聞き取りづらい津軽弁効果もあいまって少なくないストレスを受ける。しかしこれは一体ナニが言いたいのだろうか?と思い始めた中盤でその様相が変化し始める。フトしたきっかけで自己に生じた"変化"をとらえ、町子先生への真っ直ぐな思いからさらにその"行為"を特化させていく陽人の描写が、いきなり場面にとんでもない深みのある静けさをもたらす。やがてはその静やかさこそが、陽人が自身の内に持ちながら普段は視ることの出来ない、さらには視ることが出来ないことを彼自身が自覚しさえしているモノであることがその口から漏らされるにあたり、先のあまりにも痛ましい"行為"によってそれを得ようとする陽人の姿になんだか頭がグラグラするような衝撃を受けた。


そして作品はここからどんどんとファンタジックな展開を見せ始める。町子先生が事故で失った元カレが"在り得ない姿"で陽人の前に姿を見せたり(ちなみにエンドロールを観て初めて、この元カレ役がARATAだったと気づいた。なんで劇中ではそれが分からないのかは観てのお楽しみ・・・)、またあるいは陽人自身がミラクルな状態で"復活"したりと、理屈では説明しがたい事象が2,3発生する。だけどもこの映画、そうしたブッ飛んだ出来事それ自体のファンタジックな側面を印象づけるというよりも、むしろそうした超現実なファクターを絡めることで、ごくごくシンプルに「一人の人間がそこに居て、生きている」というそのこと自体の温度や意味を描いているように見えた。あるいは一人の人間が他人の心に刻み遺すことの出来る感情の強さとでもいったらいいのかしら。こういう作品が撮れる人ってなかなか居ないのでは?先に読んだ津村記久子氏の作品とも重なるところも感じる、良い映画だった。あとこれまで、役者としての松山ケンイチを見たことがなかったんだけど、民放で見るのとは全く違うその魅力に惚れ惚れ。この人あっての今回の作品だったかもねーとも思ったのでした。

| かっつん | 21:15 | comments(0) | - | pookmark |

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