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イタリア・ボローニャ国際絵本原画展2013@西宮市大谷記念美術館


プロ/アマ問わず誰でも応募することができ、イラストレーターの登竜門とも言われているコンクール。今年は24ヶ国/77人の入選作品が展示されていた。昨年よりも、印象に残る作品が多かった。



Marta Zuravskaja
華麗なる喧騒と遅効する毒



NYSTRÖM BENTE OLESEN
奇妙な細部が其処此処から覗く亜空間



DOLZ DANIEL & FREIGOFAS DORIS
その轟音や熱気まで感じられそうな躍動する活劇年表



BIANCHESSI PEPPO
閉塞的な鬱々しさは、ひとたび破れればやけに明るい黒いユーモアとして歩き出す



LEE JI YEON
歯は大切な「資源」です



VELTEN FELICITAS
なんだこれは面白いぞと、迂闊に近づくには少々アブナイ気配がする心の深みの物語

一番好みだったのはBENTE OLESEN NYSTRÖMかな。帰って調べてみれば、2008年に行った同展でもこの人の作品を「いみりさんみたい!」と言って愛でていた。嗜好というのはそう簡単には変わらないらしい。

| かっつん | 22:38 | comments(0) | - | pookmark |
2012 イタリア・ボローニャ国際絵本原画展@西宮市大谷記念美術館

来年も必ず行こう、とか書いておきながらそれから丸4年行ってなかったこの国際絵本原画展。今年の展示では19ヶ国/72名の作家の入選作品が出展されている。数えてないけど、韓国の作家さんが多かったような。



VINCENT CAUT『BOXING』
フランスの作家。画からワヤワヤとした呟きが漏れ聞こえるユーモラスな細部。それを集合体として手中にする楽しさに満ちた作品。



EVELYNE LAUBE&NINA WEHRE『Die Grosse Flut』
線描が紡ぎ出す、繊細でダイナミックな世界の転生。世界に対する個のドラマティックな感情と、世界という器から見た個のちっぽけさが並び立つ。



CLARA DE VILLRERS『Insomnia』
ずばりテーマは不眠症。暗い画が笑いを誘う。子ども受けは悪そう。ドイツの作家さん。



FERESHE NAJAFI『The King With Two Snakes』
肩に2匹の蛇を飼う王様。その餌は小さな子どもの脳味噌・・・
イタリアの作家さん。モザイク画のような色使い。絵本を読んで見たいと思わせるストーリー性もステキ。



DIDIER LEVY『In Water』
フランスの作家。緩んでいて、ほのぼのと不気味。こんな世界なのに線の修正痕がそこそこに滲んでいるラフさが印象的。




ROXANE LUMERET『Sunday Afternoon』
ありふれた日常、しかしそこ見ればヘンなイキモノが息づく素敵な世界。こちらもフランスの作家。こんな風に、世界を観てみたい。


今回「わ、面白い!」と思う作品はいくつもあったんだけど、4年前のようにその世界にのめり込むだけの興奮を誘うほどのものはなく。これってつまり、己の感性が減衰していることに他ならないのだが、、、あと漠然とだけど感じたのは、自分が持つ世界観を表す巧さ(というか完結性)はフランスはじめヨーロッパの作家さんが長けてるんだけど、なんというか、絵本という「物語」を通じて感覚が外にバァーっと拡がっていくようなワクワク感は、イランあたりの作家さんとかのほうが強いなーと思った。

| かっつん | 22:41 | comments(2) | - | pookmark |
解剖と変容:プルニー&ゼマーンコヴァー チェコ、アール・ブリュットの巨匠展@兵庫県立美術館


久しぶりの県美。フランスのジャン・デュビュッフェが提唱した、広義には正規の美術教育を受けたことがない人たちの創作活動を指す「アール・ブリュット(生の芸術)」を主題に据え、チェコ出身の画家アンナ・ゼマーンコヴァー(1908-1986)とルボシュ・プルニー(1961-)の作品を扱う特別展。展示の構成そのものは、単調と言えるかもしれない。そしてそれは、そもそもが鑑賞者を想定していない作者の作品であるということと無関係ではない。



人間の身体そしてその構成要素に対して異常なまでの執着を感じさせるプルニーの作品は、さながら毛細血管の単位にまで分解された「人体」が繰り返し登場し、その単位はどこかユーモラスにも見える独特の結びつきによって特異な物体として再構成される。



「家族」と銘たれた上記の作品では、両側に両親、そして中央にはその子ども(逆さまになっている)が並び、両親の眼は子どもへと注がれ、それぞれの手はしっかりと結ばれている。その様子は先に述べたようにどこかユーモラスで、特異だけど決して居心地の悪くない愛情めいたものも感じさせる。この人は他にも自己の身体を使った強烈なボディ・アートめいた写真作品があったりと、いわゆる現代美術っぽいキャッチーさもあったりするのだが、居並ぶ作品に連続して立ち会っていると、その根底から感じられるのはやはり、プルニーの対象に対する尋常でない「興味」と表現への「欲求」であり、その濃密さはこちらの単純な「鑑賞」の器に簡単に収まりきるものではないなとも思わされる。そもそもアール・ブリュットが鑑賞者を意識した表現活動でないのだから、それは当然なのだが。



それでも「解剖」された物質の造形に一種の表象美を見ることも可能なプルニーの作品に対し、ゼマーンコヴァーのそれはさらに原初的な「欲求」に覆われていて始末に負えない。厳格と言っていい躾に基づく子育てに人生の大半を充当し、やがてその子達が親離れしていって以降の、どうしようもない空虚を満たすために始まった彼女の絵を描くという表現手段。まだ陽も明け切らぬ早朝に始まったというその絵画は、そのどれもがまるで彼女の内から湧き上がる「不安」や「焦燥」、そしてそれを吐き出すことでかろうじて生きることとの折り合いをつけているような際どいバランスを感じさせる。正直、今の自分の精神には、これとジッと向かい合い、見続けるだけの強さはなかった。「生の芸術」という意のアール・ブリュット。身体という生き物への興味、あるいはその生の根幹に在る「性」を強く感じさせるのがプルニーだとすれば、ゼマーン・コヴァーの「生」はただひたすらに生々しく重かった。

展示は上記の作品を第一部に、第二部ではブリュノ・ドゥシャルム制作・監督による映画「天空の赤―アール・ブリュット試論」を上映する。本作はアール・ブリュットに関わる人々のインタビューやその歴史に関するユニークなアニメーションなどを挟みながら、その代表的なアーティストを紹介していく93分の長編ドキュメンタリー。個人的には序盤に出てくるカレンダー計算の天才であり、それを使った「アート」作品を生み出すジョージ・ワイドナーが印象に残っている。終盤ではヘンリー・ダーガーも紹介されるが、ほとんど神格化されたようなその演出は映画としては面白いけど、そうした装飾は逆に作中でも何度か問い掛けられる「アール・ブリュットを見せる」ことの難しさとも密接に結びついているようにも感じた。

| かっつん | 23:12 | comments(0) | - | pookmark |
没後150年 歌川国芳展[Kuniyoshi: Spectacular Ukiyo-e Imagination]@大阪市立美術館


平日にお休みを頂戴し、会期終了間際の上記展示へ。前後期あわせて400点超を展示する「史上最大」の国芳展。






国芳といえばこの『みかけハこハゐが とんだいゝ人だ』のような寄せ絵が有名だけど、今回の展示ではそもそもの出世作である「武者絵」にはじまり、説話もの、役者絵、美人画、子ども絵、風景画、摺物と動物画、戯画などなど、様々なジャンルから膨大な数の作品が展示されている。これ即ち、国芳が様々なジャンルにかけて多様なスタイルを打ち出しうる技量と想像力を持っていたことの証明だとも思うのだが、特に今回の展示からは、いわゆる「奇想」に位置するアイデアよりも、確実に観る人を捉える確かな構成や、その主題を確実に活かす筆の力を強く感じた。







豪傑どもが巨大生物とガップリ四つに組み合う武者絵のインパクトや、西洋画の手法を取り込んだスッキリとした(でもちょっと不思議な)構図の風景画、そのユニークな視点に笑みが止まらない戯画など、色んな角度から眼を惹かれる。




ちなみに本展示中個人的に一番ウケたのが、この『福禄寿 あたまのたはむれ』
目が覚めてふゎ〜と伸びる福禄寿。しかし、か、神棚に当たっている、、、しかもそもそも枕の位置が遠い!か、神様なのにこんな扱い、、、笑うしかない。




それから意外にも印象に残ったのが美人画や子ども絵といった、当時の風俗やそこに住む人の息遣いが感じられるような作品群だった。なんだか自分がその時代そこにいてその空気を吸っているような、あるいは当時の人たちが国芳の絵を見て心躍らせているその感覚に同化するような不思議な気分。それにしても本当に展示数が多く、3時間近くかけて観終わった後はさすがにグッタリとしてしまった。良い展示だったー!と満足しつつ、後で図録を観ていると、「これは観ておきたかった!」という作品が前期に多かったのはちょっと口惜しい。

| かっつん | 23:09 | comments(0) | - | pookmark |
ヨルク・シュマイサー新作展 -Blue Mud Bay Jorg Schmeisser Exhibition 2011@ギャルリー宮脇


08年3月以来3年ぶりとなる新作展。今回はアボリジニの文化が息づくオーストラリア北端部、東アーネムランドの旅から生まれた作品群を中心に、あわせて氏が1970年代に『古事記』と『日本の伝説』をもとにして製作した木版画も展示する内容。






図鑑のようだ、というような形容が、正確ではないが頭にあった。作品から感じる感覚をハッキリとした言葉にするのはとても難しいが、そんな感覚が今回自分の中に在ったことは確かだ。3年前の展示ではそんな言葉が浮かんできた覚えはないので、この形容が今回の作品中に現れるさまざまな自然界のモチーフを起因に浮かんだ安易なフレーズだということは分かっているが、しかし同時にそれは、ある意味では氏の作品群に対し共通して感じるフィーリングの一端でもあるように思う。ビーチに打ち上げられた無数の貝、海中で、あるいは海に添って生きる動植物の遺骸やその断片。それらはこの世界という空間を構成する確かな存在の一部であり、全てではないが確実に世界の一端を写し取ったものだからだ。そしての銅版画に写し取られた世界の一部は、今度は肉眼では視得ないはずであるその生命の、構造の根幹を伴って再構成されることで、まるで世界の原理原則を体感させるような不思議な陶酔を放つようになる。自分がヨルク氏の作品を見て漠然と感じているその安心感にも似た感覚は、おそらくその作品を通じて自分という存在の、さらに大げさにいうなら自分という人間が居る世界という空間の仕組みに触れているような錯覚から来ているのだと思う。氏のいう「detailed rendering 精緻な細部の描写」と「dreamlike floating images 夢のように漂うイメージ」の間を行き来する世界は、単純に幻想的だという形容に終わらせられない、とても根源的な感覚を擽る。

| かっつん | 22:39 | comments(0) | - | pookmark |
川西祐三郎展 〜版の軌跡〜@神戸市立博物館


半ば仕事のような形だが、本日、上記の展示に行ってきた。川西祐三郎は神戸を代表する木版画家・川西英の三男。8歳の頃から作り続けたその作品は、実に1,200件を超えているのだそう。今回の展示は、氏から931点の木版画の寄贈を受けた市博が、それを記念して開催したもの。










兵庫県立博物館などで川西英の作品はたびたび眼にしてきたが、この祐三郎氏の作品をはっきりと意識して見るのは今回が初めて。そしていざ並べて見てみれば、その作風の違いは明らかだった。写実的ともいえる構図で切り取られた風景と、和風でも欧風でもイスラームでもない独特の色彩感覚で彩られた川西祐三郎氏の作品は、見てもらえばわかるとおり、かなり洗練されており、良い意味でモダンな魅力を感じる。風景が孕む情感や透明感、あるいは温度のようなものが、すっきりとしたまとまりの画面中にハッキリと捉えられ表現されていて、個人的にかなり好みの画風だった。

それにしても、戦後に復学して卒業、それから阪神に入社して33年間勤め上げたということだが、それでこれだけの点数を作成するなんて、いったいどんなヴァイタリティなんだ!?と思うことしばし。会場には実際の作品制作に使われた版木も数点展示されているが、それを見るとほんとーに大変な作業だろうことが伺える。加えて日本全国の風景はもちろん、ヨーロッパシリーズなんてものもあったりして、失礼ながら、この人はほんとーにちゃんと会社で仕事してたんだろうか、、、などと思ってもしまったのでした。

| かっつん | 22:39 | comments(0) | - | pookmark |
水木しげる妖怪図鑑@兵庫県立美術館


水木しげるの画業60周年と米寿を記念して開催されている企画展。これまで氏が描き続けてきた1,000を超える妖怪画の中から88点の原画を、さらにはその原点ともいえる鳥山石燕『画図百鬼夜行』ほか江戸時代の妖怪画etcを展示してみせるという内容。個人的に水木しげるに特別強い思い入れがあったわけではないけれど、それにしてもこの原画群は面白い。興奮する。尋常でない背景の描き込みっぷりはそれ自体がヘンな磁場をもって渦巻いてみえるし、そのウォオオンとした空間がために描き出される妖怪の不可思議な存在感も、理不尽な怖さも、チャーミングな佇まいもバッチリと伝わってくる。








中でも個人的に一番インパクトがあったのがこの"川太郎"
なんら悪さをするわけでなく、人間の子どもたちと仲良く遊んでいた河童。「大人には自分のことは喋っちゃだめだよ」と言っていたにも関わらず、ついうっかり親に漏らしてしまった子どもがいたために乗り込んできた大人に切り付けられた、というエピソード付、、、この、「絶対言っちゃだめだよ」と言いながら薄々自分の未来に勘付いてしまっているような、半ば切羽詰った表情がものすごーく印象的。この絵にしてもそうだけど、原色の組み合わせ方に禍々しくエキゾチックな色彩のものがあったり、かと思えば増殖するカビのような、ふわふわとしておどろに集積する色彩があったりと、ほんとイロイロな表情があって見飽きない。一方でその素ともなっている江戸時代の妖怪画を見ていると、人間の想像力って凄いわぁとも思ったり。伊藤若冲の『付喪神図』なんていう珍しいものも見れました。3時間近くかけて、堪能。頭パンパンになりました。ちなみにこの展覧会は巡回展ではないそうです。

| かっつん | 23:07 | comments(0) | - | pookmark |
菅井汲展@神戸BBプラザ美術館/中山岩太展@兵庫県立美術館




先週金曜日、夕方から二つの展示に行ってきた。一つめは灘区のBBプラザ美術館で開催されている企画展『パリと日本を駆けぬけた画家 菅井汲の眼差し‐版による色彩と記号のシンフォニー』





愛車はポルシェ、そして並ならぬスピード狂を自認する氏の作品には、例えば道路標識のような、抽象化された、記号のようなパーツが多用される。特異な色彩下で組み合わされるそれら図形は、かなりユニーク。会場内には氏がかつて受けたインタビュー記事などもあわせて展示されていたが、その語録にもあるように、日本人的でも外人的でもないその作品のオリジナリティの背後には、スピード感という要素が強く伺える。高速の最中でも網膜に飛び込み焼き付けられるようなアイキャッチ性と、流れの中で何度も刷新されるような可変性というか。サバサバとしたキャラクターが良い意味で乗り移ったような版画群が、非常に魅力的だった。これまで県立美術館のコレクション展で数点見たことがあるだけだったので、今回小さいながらもこうした個展で体感できて凄く楽しかった。








その足で兵庫県立美術館へ南下し、『甦る中山岩太展:モダニズムの光と影展』へ。戦前日本の新興写真界で活躍した写真家/中山岩太を中心とした個展。写真史というものに疎い自分が「イマ」という視点から眺めると、その作品群には"革新的な"真新しさこそなかったが、対象を対象として単に切り撮り、あるいは写し撮るのではなく、いわばその実を浮かび上がらせるため(ときに多大な装飾を施しながら)様々な虚を重ねていく幻想的な作風が印象的だった。そしてその計算されたレイヤーやレイアウトが、ごてごてとした重さや鈍重さには繋がっていないところに、そのセンスの卓抜が伺える。ちなみに作品のいくつかでは、氏が焼き付けたオリジナルと並び、残されたガラス乾板から最新の技術でプリントしたものとが並列して展示されていた。当然、現代の技術で起こされた写真のほうがその解像度や彩度は高いのだが、作品として美しさはやはりオリジナルが圧倒的に勝る。起こすところまで含めての写真表現だ、ということを感じると同時に、全紙大まで引き伸ばされることでわかるその技術の高さなど、いつもとは違った角度で見るべきところの多い展示だった。


| かっつん | 22:56 | comments(0) | - | pookmark |
聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝展@大阪歴史博物館


会期終了間際に行ってきた。カーラチャクラ父母仏立像をはじめとする『秘仏』、あるいはなかなかお眼にかかることの出来ない立体マンダラ、および種々の法具など、多数の国家一級文物(いわゆる国宝)を含んだ展示品により成る企画展。







凛々しい立ち姿に、優美ながらもどこか硬質な冷たさを感じる『弥勒菩薩立像』、邪を征するにはその内にも邪を内包することが必要かと思わされる迫力の『ヤマーンタカ父母仏立像』、解説を読まずとも、各々のキャラクターが強烈に放射されて見える高僧のリアルな坐像群、平面でなく、展示空間という三次元で目の当たりにすることの魅力を存分に感じさせられた『十一面千手千眼観音菩薩立像』、なんとも言えんグロテスクさがシュールな『獣頭金剛』など、ふだん「仏教」と聞いてイメージするストイックさとはまた形の違う、強烈な色彩と躍動感に溢れた展示物がほんとに素晴らしい。

膨大な文字がこれでもかと言うほどの細密さで書き込まれた経典や、あるいは一片の隙間なく描きとめられた美しい色彩の集積からは、神の在ります世界へと近づかんとする(ある意味狂気ともいえる)精神性が、言葉ではない感覚的なものとして見えてくる。例えばその肉薄の方法が自らの内へ内へと向かうのが日本の宗教であり、外へ外へと向かうのがキリスト教だとすれば、チベット仏教はちょうどその中間的なニュアンスがあるようにも感じられた。



さて、今回の巡回展については、ダライ・ラマ法王日本代表事務所が下記のようなコメントを出しているように、ただの「良い展示だった」というので終わっていけないのもまた事実としてある。

「聖地チベット 〜ポタラ宮と天空の至宝〜」展に関して 関西地区の皆様へのお願い

最近は世界的にも注目されている「チベット問題」だが、個人的には今回の展示構成中にはそうした政治的な色合いは見あたらなかったように思う。中国の「侵奪者」としての側面を描くことはない(主催が中国だから当たり前だが)かわりに、チベット文化の「庇護者」たる中国を演出する臭いも特段感じはしなかった。 ただ、通常は見ることの出来ない『秘仏』が、こうして自分たちの前に出展されている、、、ということの経緯や意味については、やはりちゃんと意識して考えとかんとあかんのかな、と思ったりもした。

| かっつん | 22:45 | comments(0) | - | pookmark |
ヨルク・シュマイサー 銅版画作品集




−幻想・エロス・始原への旅びとヨルク・シュマイサーの銅版画世界。実存の驚異と神秘に捧ぐ技巧と表現。
美の博物学−

08年3月に京都のギャルリー・宮脇で作品展を見て以来、かなりのお気に入りになっているヨルクさんの、以前からずーっと欲しかった作品集。87年の出版で、現在はもちろん絶版。定価の3,500円に対して8,000円近くの値段がついていたのでためらっていたんだが、ある日「エイヤっ」と買ってしまった。























繊細な線描の「渦」が、眩暈にも似た浮遊感を醸す、ときに禍々しくもある美しい幻想の世界。銅版画、という媒体が可能にする効果を存分に感じさせる頁/頁の連なりとその積算が物凄く重厚な世界を創り出している。こうして作品群として改めてみてみると、細密な表面上の美しさに引き続いて、なにか精神の奥底をいじくられるような、ある種不気味なグロテスクを感じます。見ていると思わず、呑まれる。ヨルクさんの画を一枚、さりげなく飾れるようなうちを建てることが、将来のちょっとした夢でもあります。































































| かっつん | 22:34 | comments(0) | - | pookmark |

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