2011年刊行。著者2年ぶりの新作。んでもってここには全7編、つまりは7つのハイコントラストな「死にザマ」が収められておりますデス。毎度のことながら、寝る前に読めば寝つきは悪い。ついでに言うと寝覚めも悪い。なのにその○溜めのような○○ホールに引きずり込んで読ませてしまうエグいパンチ力。それを一種のエンターテイメントと言ってもいいのかもしれないが、楽しめるのかどうかは人による。とにかくもベースに世の下劣をお下劣なままに詰め込んでみましたそこに作為はありませんどうぞご自由にご覧ください、といった風な「小説的昇華?なにそれ?」みたいなタチの悪さを感じるのだ。
それにしてもこの人のお話ってなんだか「人間の尊厳」なんちゅうものは存在しないが如くズリズリのベタベタに蹂躙されるようなモノばかり。弱者は救われない。どころかその存在すらも認められない。そんなどうしようもない焦燥と恐怖に急き立てられる第一話"或るはぐれ者の死"は、誰もが道路上のゴミだと思っていたモノが、実は轢き潰された○○の××だということに気づいてしまった路上生活者の話。続く"或る嫌われ者の死"もなかなかシュールなお話で、ある「事故」によって絶滅寸前にまでその数を減らし、と同時に世界中の忌み嫌われ者となってしまった「日本人」の男の劇的な最後をサラリと。この時点でもう随分といたたまれないのだが、続く"或るごくつぶしの死"にて、田舎から出てきた幼馴染を体の良い道具として扱った男が、自分の見たいものだけを見る生活を続けていった結果としておぞましい結末を「見てしまった」という展開はリアルに過ぎるホラーだし、さらにはそのリアルさに精神的なプレッシャーの輪をかけて締め上げてくる"或る愛情の死"では、交通事故で子どもを亡くしたため精神に変調をキたした妻が夫をネチネチと苛むというもので、さらには生理的イヤ感不条理そして無力感をこれでもかと並べ立て絶望的なまでの無力感を漂わせる"或る英雄の死"にさしかかるあたりで、こちとらブラックなゴシップ誌を100冊ほどまとめ読みさせられたような精神の奈落へと落ち込むわけです。殺し屋稼業の男が主役として現れる表題作"或るろくでなしの死"では、しかし氏による同ネタの快作"ダイナー"みたく内臓が爆裂するようなハジケっぷりには繋がらずに、それはあんまりにも不憫でっせ旦那ぁ〜といいたくなるような少女のドン底を背景に暗灰色の物語を展開する。でも最後は○○で△△ったので××だネ!挙句の最後、"或るからっぽの死"はというと、これは人の姿が見えなくなってしまう男が主人公として登場する。愛憎を問わず、「自分に強い関心を持ってくれている人間」は視えるのだが、そうでない人間は視えなくなってしまうのだ。それにしても、だ。こんな設定にしておきながら、普通の小説であれば期待するであろう大なり小なりの人間ドラマやファンタジー的昇華に全く繋がっていかない平山夢明という作者の消化の悪さはいったい何なんだ!?毎度毎度、ドキドキする。
『ミサイルマン』の感想は→コチラ
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『独白するユニバーサル横メルカトル』の感想は→コチラ
『ダイナー』の感想は→コチラ
今日も早起きしてランニング。先週に引き続き空港島へ。ポーアイは走りやすくてイイ。
往復で24kmになるはずが、ちょっと足らずに中途半端な距離になってしまった。今回は特に膝の痛みなどは出ず、気持ちよく走り続けられた。前回よりラップタイムは上がっているけど、感覚的には今日のほうが楽だったかも。スタート時にまたガーミンの心拍計がおかしな数値を刻んでくれたが、その後は安定。心拍が上がって〜下がって〜してるのは神戸大橋や空港島への連絡橋を渡っているところ。いつも朝起きて何も食べずに出発し、途中でHigh5のgelを2本補給しているのだが、今回ちょっと終盤でエネルギー切れの気配を感じた。バナナ一本ぐらい食べて出たほうがいいのかも。
やったのは、トレチア 悪いのは、トレチア
初版は2002年だからもう10年も前の作品になるんだね。しかしここに息づくモノの重苦しい量感、断片的にチラつく鮮烈はまるで薄れない。初めて読んだときの印象はそれほど強くなかったと記憶している。東京郊外に造成された新興住宅地/緋沼サテライトという無機質で閉鎖的な空間=コミュニティにおいて行われる、トレチアという偶像に獲り憑かれた陰惨な物語。閉塞的な空間に、幼少期特有の残酷さが断片的に、ときにぼんやりと、時に鮮血のような鮮やかさで浮き沈みするサマがなんとも言えぬ非日常性でこちらを惹きつけ、苛み、と同時にまるっきり悪夢の如き手応えのなさを残して消える。漂う。悪意と呼ぶにはあまりにも無自覚な、それでいて過剰なまでに攻撃的な意識の集合と離散。多くにおいて表情や温度を感じ取ることの出来ない「子どもたち」の行為はそら恐ろしく、と同時にどこか自身の内に潜む背徳的な感情を刺激する。うす暗い昂揚感。そんな、閉ざされた空間における忌まわしくも官能的な恐怖がベースにあるのだが、物語が進むにつれ姿を現し徐々にその中核へと食い込んでくる一癖も二癖もある「大人たち」側の視点へと転ずることで、物語はひとえに繊細で病的な空気にとりつかれたホラーものに終わらず、なんとも言えず鬱々としてファニーな幻想性を纏い始める。さらに終盤にかけて一気にネジれ転覆していく世界。終わってみれば終始、そのトリッキーな視点に幻惑され揺さぶられ酔わされ続けていた自分の感情に気づくのでした。
『綺譚集』の感想は→コチラ
『ブラバン』の感想は→コチラ
『ピカルディの薔薇』の感想は→コチラ
『ルピナス探偵団の当惑』の感想は→コチラ
『たまさか人形堂物語』の感想は→コチラ
『瑠璃玉の耳輪』の感想は→コチラ
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ロードバイク用のコンポを買った。と言いつつもう2週間以上前のことなんだけど、、、
色んな意味で「SHIMANOの105で十分ちゃうの?」というワタクシがなぜSRAMを選んだのか?という話だが、例によってハッキリとしたポリシーがあったわけでなく、なんとなく使ってみたかったからとしか言いようがない。先に自転車屋さんで聞いた話によれば、Rivalは耐久面で不安があるようなので分不相応にForceのグループセットを。2013年モデルのForceはマイナーチェンジされるようで、チェーンリング形状がカブトガニ化したりシフターに上位シリーズのRedと同じシステムが使われたりするようだが、まぁそれは見なかったことにする。
ココアを使ったバターケーキ作ってよ、というリクエストにより作ってみたパウンドケーキ。バター、砂糖、卵黄、レモン汁、レモンの皮、ラム酒までを加え混ぜた生地を半量ずつに分け、片方に薄力粉と合わせたココアパウダーを投入するというシンプルな手法。だけどもシンプルなものほど難しいのが世の節理。ちょうど半量ずつに分けるという部分でしっかり計量しなかったため、以降で加える薄力粉やメレンゲを等分してしまうと、それぞれの配合に微妙なアンバランスが出来てしまうという結末に。ココアも粉のまま加えるより、先にお湯かなんかで練っておいたほうが良かったかもしれん。
ともあれそうやって出来たタネを、写真のように交互に並べて型へ。一段目が終わったら同様に二段目に積んでいく。
終わったら何度かトントンと型を落として生地の隙間をなくし、スプーンの柄などを使ってグルリと生地をかき混ぜてからオーブンへ。
出来上がり。
どうも最後の混ぜ方が弱気に過ぎたのか、マーブル模様というよりはパンダ?そしてやっぱり生地の配合バランスが若干狂っている感じで、なんとなくしっとり感が少ないような、、、でもまぁ、いつもと違う作業というのは楽しくて良い。
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