マルケスといえばこれまで『百年の孤独』しか読んだことがなく、その時の「長く重苦しい」印象がずーっと残っていたんだが、このたび新装版として並んでいたのがきっかけで手に取った本書からは、そのうだるような「重み」が逆に心地良く身体の中に染み入ってきた。
南米カリブ海に臨む架空の国の"大統領"の半生が、いつ途切れるとも知らない述懐によって記される。腹心の将軍を丸焼きにして昼食へ供し、2千人の子どもを詰め込んだ船を丸ごと爆破して沈め、自分の母親を「聖なる国母」として剥製にして国中を巡回させたりと、絶大な権力と巨大な猜疑心を諸手にした男の行いは、それだけをこうして書き出してみるとそれこそ「独裁者の呪われた凶行史」のようだが、実際に本書から漂うのは、強い刺激で眼を見開かせる覚醒作用ではなく、むしろ暑い午後の陽射しに炙られた人っ子一人いない路地をぼんやり眺めているような、なんだか全てがどうでもよくなってしまうような気怠るさだった。そしてその気怠るさの中には間違いなく一種の心地良さが在ったのだ。
それはきっと誰がどういった状態でこれを語っているのか、いったいどこからどこまでが一つの塊として区切られるのか判然とし難い文体や、色鮮やかに降っては体積し、しかし熱く熟れた空気の中でそのシルエットを朧にしていく無数の形容詞に拠るのだろう。ダラダラとしていると言えばこれほどダラけた美しさがある小説は無い。こんな感じを覚えたのは津原泰水の"ペニス"を読んで以来かも。外の光や空気を感じながら読むと、よりいっそうその感覚は際立ちます。
毎日3,4個のトケイソウが花開いては閉じて目を楽しませてくれる毎日ですが、そのほか成長著しいのがこちら銅葉のダリア《ブラックナイト》
シュッと伸びた茎の先端には蕾がついており、チョコレート色のそれが少しずつ膨らみ、中からうっすらと黄色が覗いてきています。まだガーデニング暦1年足らずのワタクシですが、なんとなく、花って実際に花盛りのときよりも、蕾や新芽を愛でている時間が一番楽しいかもしれない、と思ったり。
そしてこちら、根詰まりによる瀕死状態から復活したストレリチア・レギネ。今年のお盆までに、花芽がつけられるぐらい成長しないかなーと、無茶な願望を持ってみたり。
銅葉のカンナ《ダーバン》は、葉が密集し過ぎてなんだか美しくない状態に。もうちょっとシュッとしてくれんかなー、シュッと。しかし人間にとっても多くの植物たちにとっても何気に今が一番良い季節。今年は入梅が早めのようで、ながーい梅雨期を脱落者なしに乗り越えられるのかどうか、ちと不安ではあります。
08年3月以来3年ぶりとなる新作展。今回はアボリジニの文化が息づくオーストラリア北端部、東アーネムランドの旅から生まれた作品群を中心に、あわせて氏が1970年代に『古事記』と『日本の伝説』をもとにして製作した木版画も展示する内容。
図鑑のようだ、というような形容が、正確ではないが頭にあった。作品から感じる感覚をハッキリとした言葉にするのはとても難しいが、そんな感覚が今回自分の中に在ったことは確かだ。3年前の展示ではそんな言葉が浮かんできた覚えはないので、この形容が今回の作品中に現れるさまざまな自然界のモチーフを起因に浮かんだ安易なフレーズだということは分かっているが、しかし同時にそれは、ある意味では氏の作品群に対し共通して感じるフィーリングの一端でもあるように思う。ビーチに打ち上げられた無数の貝、海中で、あるいは海に添って生きる動植物の遺骸やその断片。それらはこの世界という空間を構成する確かな存在の一部であり、全てではないが確実に世界の一端を写し取ったものだからだ。そしての銅版画に写し取られた世界の一部は、今度は肉眼では視得ないはずであるその生命の、構造の根幹を伴って再構成されることで、まるで世界の原理原則を体感させるような不思議な陶酔を放つようになる。自分がヨルク氏の作品を見て漠然と感じているその安心感にも似た感覚は、おそらくその作品を通じて自分という存在の、さらに大げさにいうなら自分という人間が居る世界という空間の仕組みに触れているような錯覚から来ているのだと思う。氏のいう「detailed rendering 精緻な細部の描写」と「dreamlike floating images 夢のように漂うイメージ」の間を行き来する世界は、単純に幻想的だという形容に終わらせられない、とても根源的な感覚を擽る。
週末、久しぶりに京都へ行ってきました。京都といえばあのお店!ということで1ヶ月以上前から予約していた大好きなお店で晩ごはん。しかしどこか寝ぼけていたのか、コンデジ持っていくのを忘れていたのでした。
どれもこれも食べたくて困ってしまうのだが、チョイスしたのは以下のとおり
・マグロのタルタル・・・ディルが効いてる!そしていったいどうやったらこんなシンプルなものがこれだけ美味しくなるのだろうかというサッパリしていながら深みのある味。
・牛のゼリー寄せ・・・前々から食べてみたかった一品。肉の繊維を噛み締める喜び。脂が口の中で甘いバターのように溶ける。値段からは絶対に信じられないボリューム(ここは全ての料理に言えるけど)に感激。
・レンズ豆のサラダ・・・こちらもシンプル、サッパリしていながらも先のマグロと同じく、スパイスやビネガーの使い方が「さすがプロだなぁ」とため息しか出ないようなバランスでほんと美味しいの。
・鴨のステーキ燻製がけ・・・本日のメイン。まずもって見た目が美しい。その美しい肉の切り口に二人揃って大喜び。口に運ぶと肉のうま味、塩加減、そして燻しの香ばしさが3段構成でやってきます。満腹に近い状態なのに、食べれてしまうこの旨さ。つじでに変なとこ褒めるようだけど、付け合せの胡瓜までもが絶品でした。
ボルドーの99年ものを片手に、最高に幸せなひと時。いつもながらお店の雰囲気も最高に心地良い。美味しいものとそれを食べる人たちの喜びが溢れておりました。
⇒ かっつん (12/30)
⇒ あかほし (12/29)
⇒ かっつん (12/28)
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⇒ かっつん (12/08)
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