1969年の西部劇映画『勇気ある追跡』のリメイク版。個人的には『ファーゴ』や『ビッグ・リボウスキ』が印象に残っているジョエル&イーサン・コーエン兄弟が監督・製作・脚本を手がける。
その粗筋はとてもシンプル。父親を撃ち殺された14歳の少女/マティ・ロスが、犯人への復讐を果たすべく、自ら雇った保安官とともにホシを追跡するという話。1969年の『勇気ある追跡』では、雇われ保安官をジョン・ウェインが演じていることもあって主役は完全にそちらだったんだろうけど、今作では一貫して14歳の少女/マティ・ロスを中心に描写されている。
さすがにセットも多いとはいえ、アメリカという国の広大さを痛感させられる原風景の描写や、その大地を疾駆する駿馬の美しいプロモーション、父への仇討ちへ真っ直ぐに突き進む少女の健気さ、そして一見グダグダなようでいて、やるときゃやる!ってな感じの保安官の格好良さまで、まさに西部劇の美学とでもいうべきエッセンスが綺麗に散りばめられている。テンポの良い会話と場面転換に惹き込まれ、ふいに勃発する銃撃戦に息を呑み、そして訪れるクライマックスにハラハラとさせられる良作。ある意味ベタベタだけど、その要素を綺麗に消化し流れるように展開してみせる監督の巧さが、役者陣の演技に劣らず光って感じられた。
未読、と思って買ったら実家にあった。そうして見ると内容にも既視感が・・・
さて本作。『呪禁官』を改題し04年にリリースされたもの。他人を呪い殺した男の裁判で、その男に対して無罪が下り、勝ち誇った男がその場で裁判官を罵倒嘲笑しながら呪術によって惨殺するという衝撃的な事件をきっかけに、呪術と科学がその立ち居地をぐるりと逆転させてしまった世界を描く。すなわち、「呪術サイコウ!」「科学!?だっせー」みたいな。
そんな世界だもんで、呪禁局なる「呪的犯罪を取り締まる」公的セクションが存在するんだわな。そして本作はそのサブタイトルにもあるとおり、呪禁官を目指し養成学校に通う訓練生のボクたちの顛末を描いた物語。だからか、牧野式怨念闇式毒電波っぷりはそう強くなく、全体に少年らの青臭い成長譚を織り込んだコミカルな軽さが印象的。ときおり吹き荒れるスプラッターな暴力も、それほどの血生臭さは漂わせず、濃いぃのを期待すると肩透かし喰らうかも。だけども数ある牧野作品の中で決して低いほうに位置する中身ではなく、養成学校での上級生からのイジメ、居残り追試後の夜の校舎でのお化け騒動、決死の合宿大作戦などなど、学校ものを扱う上での面白要素はわりとしっかり散りばめられていて最後までダレずにイケる。ちなみに本作の続編として『呪禁局特別捜査官 ルーキー』があるみたい。こっちは間違いなく未読なので近日中に読んでみたい。
『MOUSE』の感想は→コチラ
『楽園の知恵 あるいはヒステリーの歴史』の感想は→コチラ
『記憶の食卓』の感想は→コチラ
『ネクロダイバー 潜死能力者』の感想は→コチラ
『ファントム・ケーブル』の感想は→コチラ
『忌まわしい匣』の感想は→コチラ
『黒娘 アウトサイダー・フィメール』の感想は→コチラ
『蠅の女』の感想は→コチラ
『アロマパラノイド-偏執の芳香』の感想は→コチラ
『リアルヘヴンへようこそ』の感想は→コチラ
『夢魘祓い --錆域の少女』の感想は→コチラ
『少年テングサのしょっぱい呪文』の感想は→コチラ
『そこに、顔が』の感想は→コチラ
『REDLINE』の感想は→コチラ
『破滅の箱』・『再生の箱』の感想は→コチラ
『死んだ女は歩かない』の感想は→コチラ
1968年発表のSF古典。映画『ブレードランナー』の原作としても有名。
ときは第三次世界大戦後。放射能に汚染された地球を捨て、ほとんどの人間が火星へと移住してしまった中、いまだ地球上に止まり(あるいは出られない)廃墟のような建物に住み続ける人々と、かたや火星での過酷な賦役から逃亡してきた脱走アンドロイドとが絡む物語。その脱走アンドロイドを狩ることで生計を立てるバウンティハンターと、狩られる立場にあるNEXAS6型アンドロイド。
根っこのところに人間とは?アンドロイドとは?といった問い掛けが在るのは確かで、外見上は全く人間と見分けがつかないアンドロイドを「識別」し、処理していく人間、あるいは自分では全くその自覚がないアンドロイドの感情の揺れや葛藤がクールに描写される。
そう、本作の文体はきわめてクールで、先の命題的なものにしても、妙にベタベタとした倫理観あるいは哲学的なキムズカシサに沈むことはなく、むしろユーモラスで洒脱なリズムを強く感じる。そのほとんどが死滅してしまい、残るものには法外な値段が付けられている「動物」を飼うことに対するステータス、あるいは飼えない者が代替するための電気動物の存在、そして人間が人間であるための「共感」装置としてのマーサー教との合一システムなど、なんだかシュールな光景を喚起する設定が面白い。人間vsアンドロイドのバトルって部分ではなく、そうした世界構築の妙こそが魅力的な作品。
95年作。本書に先立つ作品として『元禄霊異伝』があるが、そちらは入手困難のため未読。さらには97年刊行の『妖臣蔵』とあわせて"江戸魔地図シリーズ"とでもいうべき内容になっている。
さて本書。その粗筋をごく簡単に記すと、いわゆる「忠臣蔵」ものに妖魔の類をからませた内容。赤穂47浪士に妖魔を獲り憑かせ、幕府を、江戸を転覆せしめんと謀る大名・柳沢吉保と大僧正・隆光。させじと立ち向かうが浄土宗大本山増上寺三十六世・祐天、という設定なのだが残念、個人的にはあまり萌えなかった。ところどころで血臭ありイロもありはするのだが、これまで読んできたこの作者特有の描写の苛烈さ鮮烈さが感じられない。物語の起伏にしても、そこに「元禄妖魔対戦!」というべきほどのド派手さもなく、正直、これまで読んだ著作の中では最も凡庸な一冊だった。しかしまぁ、これに続く『妖臣蔵』も既に購入しちゃったので、とりあえず読んでみようかしらん。
『闇絢爛』の感想は→コチラ
『東山殿御庭』の感想は→コチラ
2010年刊行
まずもって、今作のアウトラインは随分と変わっている。原案は尾崎翠。まさしく知る人ぞ知る、という類の作家だが、彼女が1926年にとある映画の公開募集に送った映画脚本がその大元。およそ六十年のときを経て『定本尾崎翠全集』に収録された脚本、それを眼にした津原泰水。そんな長い長い時間の流れと、2つの才能の奇跡的な邂逅をもって本書は生まれている。
「三姉妹を探して下さい。手掛かりは、三人とも左の耳に、一粒の瑠璃玉が嵌った白金の耳輪をしています」
舞台は、素晴らしき猥雑さが闊歩する昭和の東京。謎の貴婦人の依頼により、瑠璃玉の耳輪をした三姉妹を探し出すことになった女探偵・明子。手掛かりを手繰り寄せながら、隠微な気配漂うナゾのシルエットへと近接するほどに、どこか現実離れした夢幻的な世界が立ち昇る。背徳的な官能に煙る南京町の阿片窟、モダンなものへ熱狂する人々の熱気ひしめく電気館、異様を放つ見世物小屋、謎の療養所etcetc...
舞台も舞台ならば、登場する人物も女探偵から掏摸、売笑婦、貴族の放蕩息子、医師、物理学者、芸人、警部と多岐にわたり、かつそれぞれが多重人格に異常性癖、ヘタレ、天才などなどとクセありまくりの個性をもって、それぞれの思惑の下に歩き回る。活き活きとした狂騒をもって。
登場するモノたちの魅力的な息遣い、ときにグロテスクにも膨張するユーモラスな機微に富みながら、全体は決して濁らず、明度の高いスマートなシルエットとして構築される。そんな津原泰水の素晴らしき手腕が、尾崎翠が用意した素材を最高の形で料理した、そんな感じもする。昭和初期の探偵小説というフレーズが醸し出す、どこかゾクゾクするような興奮を、見事に体現してくれる快作小説。
『綺譚集』の感想は→コチラ
『ブラバン』の感想は→コチラ
『ピカルディの薔薇』の感想は→コチラ
『ルピナス探偵団の当惑』の感想は→コチラ
『たまさか人形堂物語』の感想は→コチラ
⇒ かっつん (12/30)
⇒ あかほし (12/29)
⇒ かっつん (12/28)
⇒ あかほし (12/26)
⇒ かっつん (12/08)
⇒ ざくろ (12/08)
⇒ ざくろ (12/02)
⇒ かっつん (12/02)
⇒ ざくろ (12/02)
⇒ かっつん (12/01)