5月18日に摘心してから約1週間、5月26日に一つめの花が咲いていた。最初は雄花ばっかり、という記事をよく目にしていたが、うちのはいきなり雌花が。当然他の花がないため受粉はせず、下についてるチビ苦瓜は大きくならないけれど。
そしてちょっとしたエマージェンシーが。写真左側の苗が強風に煽られたためか先端の茎がねじれて曲がってしまっていた。摘心後はついていた本葉に栄養が回って葉の重量がけっこう増していたのもあって、写真のようにその重さを支えきれずグデンと垂れ下がり気味の状態に。完全に折れてるわけじゃないので迷ったが、早いうちに処置したほうがいいと思い、傷んでしまった茎の部分から先をカットした。
とりあえず元気そうになったので一安心
82年刊行作。第12回泉鏡花文学賞受賞の表題作ほか、葡萄果の藍暴き昼/象の夜/破魔弓と黒帝/ジュラ紀の波/艶刀忌/春撃ちて/フロリダの鰭を収録。
小泉八雲の怪談「茶わんの中」を現代に引き出し、八雲が「殺した」ものについての考察から次第に現実を蝕む恐怖を立ち昇らせていく表題作からして秀逸。今作には、妖艶濃密な文章で酔わすだけでない、人の心を惑わす「現実」の事象をハッキリと捉えたミステリの潮流色濃い作品が多く見られる。巻末解説では、作品における序破急の妙について触れられていたが、なるほど「起し、惑わし、落とす」という展開がもたらすストーリーの引力が、どの短編にても本当に効いている。と同時にその人を「惑わす」部分にかかる描写の異様な濃度が、やはり赤江作品を赤江作品たらしめているように思う。
自らの首を掻き切り自死した男の動機に纏わる『葡萄果の藍暴き昼』では万葉の短歌が、山村の子授け寺で一夜を共に過ごした女からの、キチガイじみた言いがかりからその闇夜の情景が露にされる『象の夜』では官能的な歓喜天の御姿が、端的には男女の痴情のもつれを扱っているだけともいえる『破魔弓と黒帝』では七宝焼の破滅的な輝きが、『艶刀記』では一人の人間の一生を喰うほどの名刀がといった具合に、作品の主を成す事象の異様さは相変わらず、際立っている。傑作選にも収録されている『ジュラ記の波』、ラストでは少なからぬ衝撃に見舞われる『春撃ちて』、強烈な日差しに白光する、灼夏の漁村で芽吹いた悪意を描いた『フロリダの鰭』の3篇では、踏み躙られ蹂躙され、あるいは妄りに咲き狂う青い性を核に、変調をきたし崩壊する人間模様が描かれている。
『鬼恋童』の感想は⇒コチラ
『美神たちの黄泉』の感想は⇒コチラ
『妖精たちの回廊』の感想は⇒コチラ
『野ざらし百鬼行』の感想は⇒コチラ
『金環食の影飾り』の感想は⇒コチラ
『海贄考』の感想は⇒コチラ
『マルゴォの杯』の感想は⇒コチラ
『アニマルの謝肉祭』の感想は⇒コチラ
『荊冠の耀き』の感想は⇒コチラ
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『星踊る綺羅の鳴く川』の感想は⇒コチラ
菅井汲、中山岩太の展示を鑑賞後、レイトショーで観てきた。ティム・バートン監督による、不思議の国のアリスの後日譚とでもいうべきストーリー。この奇天烈な、それでいて不思議な濃密さで調和された世界を描くのに、この監督ほどの適任はいなそう!という期待を裏切らない内容。19歳に成人したアリスが放つ少女性、内面に携えた深い沈鬱と密接にリンクする"キチガイ"道化の帽子屋(ジョニー・デップ)を筆頭に、おそらく「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」本来のファンを納得させるに十分だろう作りこまれた世界/キャラクター設定が魅力的。
おそらく〜だろうと書いたのは、自分がその辺をよく知らないからで、そのためか作品の細かな妙までは眼がいかず、結果的に108分という上映時間はやや短いように感じた。ちなみに今回の劇場では3D上映のみだったため、期せずこれを初体験することになったんだが、表立って感じたのは「浮き上がった字幕は見難い」とか「メガネが重い」「画面が暗い」といったようなことで、肝心の効果や視覚的な恩恵についての驚きみたいなものは薄かった。
先週金曜日、夕方から二つの展示に行ってきた。一つめは灘区のBBプラザ美術館で開催されている企画展『パリと日本を駆けぬけた画家 菅井汲の眼差し‐版による色彩と記号のシンフォニー』
愛車はポルシェ、そして並ならぬスピード狂を自認する氏の作品には、例えば道路標識のような、抽象化された、記号のようなパーツが多用される。特異な色彩下で組み合わされるそれら図形は、かなりユニーク。会場内には氏がかつて受けたインタビュー記事などもあわせて展示されていたが、その語録にもあるように、日本人的でも外人的でもないその作品のオリジナリティの背後には、スピード感という要素が強く伺える。高速の最中でも網膜に飛び込み焼き付けられるようなアイキャッチ性と、流れの中で何度も刷新されるような可変性というか。サバサバとしたキャラクターが良い意味で乗り移ったような版画群が、非常に魅力的だった。これまで県立美術館のコレクション展で数点見たことがあるだけだったので、今回小さいながらもこうした個展で体感できて凄く楽しかった。
その足で兵庫県立美術館へ南下し、『甦る中山岩太展:モダニズムの光と影展』へ。戦前日本の新興写真界で活躍した写真家/中山岩太を中心とした個展。写真史というものに疎い自分が「イマ」という視点から眺めると、その作品群には"革新的な"真新しさこそなかったが、対象を対象として単に切り撮り、あるいは写し撮るのではなく、いわばその実を浮かび上がらせるため(ときに多大な装飾を施しながら)様々な虚を重ねていく幻想的な作風が印象的だった。そしてその計算されたレイヤーやレイアウトが、ごてごてとした重さや鈍重さには繋がっていないところに、そのセンスの卓抜が伺える。ちなみに作品のいくつかでは、氏が焼き付けたオリジナルと並び、残されたガラス乾板から最新の技術でプリントしたものとが並列して展示されていた。当然、現代の技術で起こされた写真のほうがその解像度や彩度は高いのだが、作品として美しさはやはりオリジナルが圧倒的に勝る。起こすところまで含めての写真表現だ、ということを感じると同時に、全紙大まで引き伸ばされることでわかるその技術の高さなど、いつもとは違った角度で見るべきところの多い展示だった。
⇒ かっつん (12/30)
⇒ あかほし (12/29)
⇒ かっつん (12/28)
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