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勝手な気苦労
そろそろ『今年のアルバム10枚』とかを選ばねならん季節になりましたね。別にせんでもええではないかという話だが、自分がやりたいのでやります。しかしメンドクサイ。億劫だ。選ぶという以上、そこに何らかの作為が必ず働くわけだが、その作為の度合いについて、いつも妙な引っかかりを感じる。悩む。

何らの付帯物を抜きにして「音そのものを評価」するってことが出来るだろうか?と考える。当然出来ない。音そのものって何だよ?って話になるから。じゃあ付帯物って何だろう?と考える。パッと浮かぶのは「周りの評価」や「思い入れ」といったところか。では他人の評や個人的思い入れを廃した選考が出来るだろうかと考える。頑張れば出来そうな感じがする。しかし待て。他人の評価や思い入れは「音そのもの」を変化させるのか?ある意味ではさせないし、ある意味ではさせる。出音される「モノ」は変わらないが、受容される「音」は変化する。聴き手個々人によって変化する「音」は、結局のところ「そのもの」としては存在しないことになる。だからやはり「音そのもの」は評価出来ない。

何を言っているのだろう?つまるところ何も言っていない。どうすることが"自分にとって"一番満足のいく、気色の良い選になるだろうか。んなことを考えていた。ある基準を定めそこに拠ることは出来るだろうか。再生回数という柱はどうだろう。今年一番再生回数が多かったナンバーから順繰りに・・・。明確だ。基準としてこの上なく分かりやすい。だけどとても納得出来んだろうな。回数と満足度は単純に比例するか。しない。と思う。思うからには基準にならん。だからって「トータルで聴いてこそその良さが解かる作品うんぬん」言い出すと、結局のところ妙な作為に囚われオカシナ選をすることになる。あぁあ!年間通してマウントされた興奮度を具視化してグラフ化する装置があればなぁ。嘘。要らん。しかし何だね、年間通してある程度の枚数を聴くようになると、どんだけ"これは!"っと興奮する作品に当たっても、繰り返し繰り返しそればっか再生してればやがて別のアルバムの新しい音を聴きたくなる欲求がムクムクと頭をもたげてくるわけで、そうして新譜を巡っているといずれはまた別の"これは!"ってものに当たるわけで、そうするとどうしてもそれらに比して先に当たった"これは!"な作品のインパクトは薄れていくわけで、これは人間の体感上仕方の無いこととはいえ、だから下半期に出た作品のほうが感覚的にはベスト10に入れたくなる欲望が強まるのだがしかしなまじっかかつて自分が書いたレビューがサイト上に現存しているため、年度当初の作品に対して残したそれらを読み返したりなどすると、その文面から推測される当時の興奮ぶりからして「これはベスト10に入れておかないと駄目ではないか」などと考えるようになり、でもそれって結局は今の気分にしっくりくる素直な選評ではないので何だか心の中にわだかまりがムクムクと堆積する結果を招き非常に気色が悪い。スッキリせん。さらにここへ上述した「思い入れ」を始めとする各種の意識が混入してくるのでもうわやくちゃや!

さ、頑張ってやろう、か。
| かっつん | 21:29 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
佐藤哲也/熱帯


いや、めちゃくちゃ面白かった!と同時にどう面白かったのかって説明がやたらし難い。これまで佐藤哲也は「異国伝」「ぬかるんでから」「妻の帝国」と読んできた。無理やり形容するなら、立ったまま上半身を約170℃ほど折り曲げ、なおかつ顔だけ上方に向け下から覗き込むような、極めて独創的な切り口で物語ってくる人だと思う。

膨大なる熱気と湿気に覆われた東京では、あらゆる理不尽が人々に降りかかります。狂信的自然主義者集団「大日本快適党」は、一般家庭の室外機に爆弾を仕掛けます。その家庭の居間のTVで流されているのは「プラトンファイト」であります。


<なんでしょうか? 何が起こったんでしょうか? アポロドロスが吹っ飛ばされています。ムナソンが呆気に取られています。でました。アリストテレスの形而上責め。感性的経験からは認識することができないので、わたしたちには何が起こったのかまったくわかりません。しかしアポロドロスは倒されてしまいました・・・>


地上では国家プロジェクトに関わる会議でSEと官僚が激突し、投げ飛ばされてはビルから転落、天上の神々は気まぐれに地上の事象へと介入し、漫画喫茶ではKGBやCIAのスパイが暗躍、そして水棲人が1、2、3と、、、

およそ普通でない事態が、きわめて平然と行われていく。その淡々とした超絶っぷりに腹がヨジレル。言葉の『芸』を尽くしながら、妄想全開のとんでもな閉鎖空間を構築するサマは、深堀骨の『アマチャ・ズルチャ 柴刈天神前風土記』のようでもあるが、佐藤哲也が独特なのは、その視点に一定して客観的な距離感があるところ。半ば偏執的な濃ゆい知識を絨毯爆撃の如く繰り出しながら、全体の質感としてはとてもスマートであったりする。

果てしない妄想をえんえん繰り述べるのでなく、それを徹底した客観の視点とスマートな言語センスで操ることが出来る作家さんの作品はホントに面白い。小説の中で行われていく事象全てが、半ば他人事めいた俯瞰と共に供されると、その馬鹿さ加減が際立った強烈な笑いが誕生する。

悪ふざけであることを自覚しつつ徹底してその馬鹿をやる、ってところなど、森見登見彦とも似通った笑いの要素がある。で、佐藤哲也はさらにその笑いを究極化すべく、ハイパーな知識や手法を応用する。執拗な反復がリズミカルに踊ったかと思えば、一方では嫌がらせのように飾り気の無い事象の羅列が続いたり、それでいてその後いきなり登場人物が実はそれはホメロス的な叙述が文体として採用されていたわけで、そうしたものが現代の文学に於いていかなる効果をもたらすのか?といったことを滔々と話し出したりと、相当変で、面白い。とにかく面白い。今、私にとって最も頭の中を覗いてみたい作家さんであります。

| かっつん | 20:35 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
カメラ話
デジタル一眼を買おうかなと思い始めたここ最近。これまではMinoltaの一眼レフ・SRT101を使っていた。自分が生まれるより前に製造されたこのアナログ機は、全てを自分でやらなければならんフルマニュアル機。絞りもシャッタースピードも全部己で設定して撮る1枚1枚は、その手間こそが楽しく趣味としては申し分ない。デザインも、現在ではあり得えん格好良さ。

急にシャッターが切れなくなったり、ミラーアップがぶっ壊れたりすることはあったが、かなり乱暴に扱って問題ないぐらいタフな点もアナログ機の良いところ。が、やはりコストがかさむ。それが痛い。リバーサルは使ったことないが、ネガでもフィルム1本買うのに500円ぐらいかかる。で、現像に出すとプリントと合わせて1,500円超。ようするにフィルム一本あたり2,000円ぐらいかかる計算。毎週1本しか撮らんとしても、年間で約10万円。先日行った宮古島では8本使った。

加えて一番の問題は、肝心の現像/プリント。ネガフィルムなので、プリントの焼き上がりなど、担当の人のさじ加減一つで全然違ってくる。プロラボで事細かに指示しながらやればいいんだろうが、しょせん遊びでやってる自分には、そんな金も知識も時間も無い。なのでヨドバシなど大手量販店に出すのだが、気に食わん仕上がりになることも多い。例えば、下は黒つぶれさせて陰影のコントラストをきつーくしたいな、と思って撮ったのに、出来上がりを見ると暗い部分に明度の基調が合っていて明るい部分は白飛びしているとか、空の色一つとってみても、意図するのと全然違う明るさで焼き上げられたりする。技術的に上手い下手があるっていうか、全体の階調なんて単純に好みの問題だと思うので、他人に任せる以上、なかなか思い通りのものは出てこない。暗室持って自分でやれたら一番なんだけど、現実的にはまず無理でしょうな。高い金払って思う通りのモノが上がってこないと、かなりガックリくる。

なので、それだったらもうデジタルでいいかなと。フィルムであれこれ考えて撮っても、その意図が焼き上がりに反映されないんだったら、デジタルで撮って好きにレタッチするほうがよっぽどストレス無いし。ネットにUPするにしても、手持ちの廉価なスキャナー使ってる限り、ほとんど別物といっていいほど劣化するし、だいいち手間がかかる。

しかしデジタル一眼のボディってほんと安いよなと思う。10万あれば最新のハイスペック機種がポンと買える。アナログと違ってデジタルのボディは使い捨て〜みたいに言われるけど、スペックの進歩に伴ってちょい前の機種なんて、オクでとんでもなく値崩れしてるし。そしてどうしようもなくデザインがダサいのは何とかならんのか。カドの無い丸々コロコロした見目は、やっぱり持ち歩くの嫌やなーと思ったり。ともあれ、フィルムからデジタルに移行する場合、普通だったら手持ちのレンズとの互換性でメーカー選ぶと思うんだけど、自分の場合持ってるレンズがどれもミノルタのRokkorレンズでSRバヨネットというマウント。なので現行機種で合うものは無い。。んなわけで、ネットで各メーカーのを調べまくって、だいたい欲しいものに絞りがかかってきた最近でありました。近々ここに購入の報告が上がるやもしれません。





宮古島・久松漁港

| かっつん | 21:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
TAXDERMIA/タクシデルミア@大阪リサイタルホール


06年ハンガリー作品。祖父から父、息子へ連なる3代を時間軸に据えた話。人間のキチャナイ部分を漏れなく押し出し、生理的嫌悪感をもよおさせる描写の効果が、物語の強烈な基幹を成している。

畜生並みの奴隷的境遇で暮らす下級兵士の妄執を中心にした第1部。その兵士の主人である中尉の(豚のように肥大した)妻が産み落とした子は、共産主義下のハンガリーで行われる、大食い競技に励む選手となる。これが第2部。最後まで勝者にはなれず、化け物じみた肉体と屈折した心だけが残った父を持つ、剥製技師(タクシデルミア)の息子が出てくるのが第3部。

屠殺される豚と、豚のような中年女の性交シーンが同次元で描写される画面や、畸形じみた巨漢の男たちがゲロまみれでモノを喰らうシーンなんかを見てると、人間がたちまち畜生以下の存在に落ちていく感覚を持つ。

個人的には、そうした画面から何か特別なメッセージというか、例えば「人間存在とはこうあるべきだ!」みたいなある一定の思想(あるいは思考すること)の強制は全然感じなくて、ただ単純に視覚的なインパクトと、物語としての面白さが印象的な作品だった。

戦時中の下級兵士の妄執から、共産主義時代の大食い選手の醜悪へ、最後に現在の都会における剥製技師の狂気へと連なる展開は、場面が進むに従って、その主たるストーリーのシルエットがシャープになっていく感じで、見ていて飽きなかった。

猥雑でグログロっとした前半〜中盤を通して、終盤で無機質と静謐に包まれた剥製群を見ていると、その潔癖性が際立って印象的。なので、終局で剥製技師が取る猟奇的な行動は、ショッキングではあるけど、どこかアーティスティックな美的さも漂わせていたのでした。映像表現も凝ってて面白い部分がたくさんあり、脚本もしっかりしているので、変なB級臭さを感じることなく最後まで楽しめた。





| かっつん | 20:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
Osaka European Film Festival



今日は大阪の肥後橋へ、大阪ヨーロッパ映画祭へ行ってきた。場所は肥後橋のリサイタルホール。昨年は海遊館ホールだったので、アクセスは良くなった。古い劇場なので座席とか座り心地はそこそこだけど、雰囲気としてはとても良かった。今日は感想書く時間が無いので、また後日に。





友達が結婚祝いのお返しに美味そうなハムなどをくれたので、それを中心に晩ゴハン。成城石井でオリーブとチーズ、バタールを買って帰り、スペイン産のシャンパンと共に食す。人参のスープ共々とても美味しかった。


| かっつん | 21:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
琳派展X「神坂雪佳-京琳派ルネサンス-」@
昼から京都へ行ってきた。覚悟はしていたが、それを上回る人出にゲンナリ。人多いの嫌やー!と行っても誰も何もしてくれないが。お昼ごはんはインド料理店ケララで。夜は数度となく訪問してるが、ランチは初めて。カレー2種とナン、ライス、ヨーグルトにチキン・ティカ、食後にチャイが付いたノン・ベジセット850円を注文。夜の部と比べると当たり前だがアッサリした作りだけど、でもやっぱカレーはその辺のインド料理店には無いスパイシーさが立っていて美味かった。店内は常時満席状態。やっぱ長く続くところはそれなりに人が入っているのだね。





で、その後歩いて岡崎のほうへ。目的の細見美術館へ向かった。前々から同館が多数所蔵しており、いずれ見たいなぁと思っていた神坂雪佳の展示が開催中。念願叶って見ることが出来た。





これまで目にしたことのあったこの人の作品からは、まず"ユーモラス"という感覚が強くあったんだけど、今日色々な作品に対峙してみて、そういった部分も含めたこの人の絵の魅力を存分に堪能。







華やかで軽やか、きりりとして和やか、繊細で柔らかく、しかし全体でクッキリとした強い印象を残す作品ばかり。端々の色使いの細やかな鮮やかさと、動植物のヒソヤカな息遣いが感じられそうな心地良い有機の質感。そして何よりもその対象物を切り取るセンス!事物を切り取るトリミング、並びにそのうま味を存分に引き出すデフォルメのセンスが、凄く巧み。頬杖ついてずーっと眺めていたくなるような、そんな小気味の良さを終始味わっていた。一般の絵画だけでなく、陶器や染織など、多分野にかけて行われた図案集なども、この人独特の事物切り取りのセンスを堪能できるので面白い。小さな美術館で館内もほどよく空いており、じっくり見ることが出来、大変満足。面白かった。


| かっつん | 21:20 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
牧野修/記憶の食卓


わりと多作で、それだけに当たり外れも多い牧野氏であるが、個人的には今作はハズレでございました。食にまつわるホラーミステリということになるんだろうが、ネタばらししちゃうとカニバリズムを主軸にした話。名簿を売り捌くお仕事をしてる主人公が、ある日ふと自分の名が入った名簿を見つける。かつそこに名の載った人物が次々と猟奇的に殺されてく〜ってストーリー。いちおう何転かするオチがあるが、とても凡庸。イマドキ"宇宙人に洗脳うんぬん"とか、ちょっとあり得んぐらい古いと思うんだが。。。肝心の「食う」場面の描写に、この人ならではの繊細鮮烈な言語表現があれば面白そうだけど、それも無い。どう見たって「片手間感」の漂うチープな作品でありました。
| かっつん | 17:54 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
カワイイーカワイイーとか言いながらあなた結局最後にはわたしを食べるんでしょう?ね、そうでしょう?の図



彼女は全てを悟ってしまった@宮古島
| かっつん | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
スベル スベル キケン

@池間大橋


| かっつん | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
出立前の駄書き
旅行。今日から旅行で沖縄へ行く。沖縄の宮古島へ行く。関係ないが、旅に出るというのと、旅行に出掛けるというのでは、背後の重みが全く違って響くのは何ででしょう?さておき、宮古島には父がいる。昨年春に移り住んだ。向こうで土地を買い、家を建て、の一人住まい。傍から見れば自適。気楽そうだが、同時に気が滅入りそうでもある。何もしなくていいという状況は、イコール心身の解放に繋がるのか。そんなはずはない。何もしなくていいが何もすることが無いに変換されると最悪だ。制約の多い生活を送っていると、どうにも自由な時間を求める気持ちが肥大していくが、実際やりたいやりたいと思っていた事柄が、いざ制約を取っ払った時間と共に向かい合ってみると、実は大して面白くない、というか毎日毎日没入出来るほどは思い入れが無かったという事実に気づき呆然とするのがオチだろう。残念ながら。っちゅーかね、飽きますよ絶対。趣味に走り続けるのが困難なら、他にも何か娯楽を見出さんとならん。そのためには金が要る。しかし金は湧いてこない。稼ぎ出さねばならん。やっぱ世の中金だよなー。お金があれば何でも出来る!そら当たり前だわな。何にせよマネーは要りようだが、消費の目的が直接的な空虚の穴埋めのためではない、というような暮らしは理想である。しかし自分には無理だなー。見栄張って”今の私には”考えられない、とかなんとか言ってみて将来への展望をチラリ匂わせたりしてもいいかしらと思ったが正直なところこれからどれだけの年月が経過しようがやはりそんなことが自分に出来るわけないことは分かりきっているのでやめた。結局書いてるが。熱しやすく醒めやすいという性分を私に遺伝せしめた父もそういうタイプではない。たぶん。なのでホントになーんも無い宮古島へ行って1年間はけっこう疲れていたようだ。そんな父を救ってあげることは出来んし、また救済の意志も持たない私は、まさしく自らの精神の娯楽のためにお金を費やし美しい島へヒョイヒョイっと遊びに行き、ゆるりとした時間と自然に囲まれのんべんだらりと過ごしつつ、しゅらしゅらっと出掛けては写真を撮るなどして時間を費やし、夜は美味いメシとともに泡盛などいただこうかしらなどと夢想。お金で買った、何もしなくていい時間を楽しんでこようと思う。何にせよ、こういう意味の無い文章をだらだらだらーっと書いてる暇がある現在の生活ってけっこういいかも、と思った。
| かっつん | 10:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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