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かっつん氏、月を愛でる


かっつん氏は団子をこしらえ、小狭いベランダで月見をした。
Thelonious Monkの調子っぱずれなピアノを聴きながら
見目は悪いが味の良い団子を頬張ったということだ。
たまにはムーディなのも良いかもしれない。
そんな馬鹿なことを考える季節である。
| かっつん | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
夜のバッファロー(El Búfalo de la Noche)@梅田ブルク7


9月22日〜24日の日程で開催されている「スペイン・ラテンアメリカ映画祭」へ行ってきました。初日及び2日目の夜21:00から上映されたこの"夜のバッファロー"は、「天国の口、終わりの楽園」でガエル・ガルシア・ベルナルと共演したディエゴ・ルナが主演。そして、そのガエルとディエゴが設立したCANANA FILMSが配給を担い、音楽はTHE MARS VOLTAのオマーが担当。今のところ、この映画祭以外での上映予定は無いとのこと。

主な登場人物は4人。ディエゴ演じるマヌエル、その友人で精神の病に侵されているグレゴリオ、グレゴリオの元恋人であり現在はマヌエルと通じるタニア、そしてグレゴリオの妹のマルガリータ。


作品紹介には一応、

グレゴリオは精神病を抱える22歳。恋人タニアと親友マヌエルに支えられ入退院を繰り返す日々。しかしタニアとマヌエルは次第に惹かれ合い、グレゴリオとマヌエルの友情は砕け散る。時は過ぎ、完治を認められ治療を終えたグレゴリオとの友情を取り戻そうとマヌエルは試みるが、その2日後、グレゴリオは不可解な幾つもの謎を残して自殺。タニアとマヌエルはその謎解きに挑むことに・・・

とあるのだが、話は退院したグレゴリオが自殺するところから始まり、過去と現在が並列されて進められるため、結構ややこしい。意図的に境界をぼかされた時系列に気づくまで、かなり混乱した。



=========以下完全にネタばれ==========

グレゴリオの自殺後、マヌエルの元にはタニアとグレゴリオが破綻せずに続いていた(入院中のグレゴリオのもとへ、タニアが通っていた?)ようなことを示唆する手紙や写真、そうした「遺品」が何者かの手により送られてくる。時期を同じくして、タニアは頻繁に失踪を繰り返すようになる。グレゴリオの妹マルガリータや、彼女を利用して呼び出したタニアを詰問する中で、浮かんできた第3の男ハシント・アナヤ。疑心暗鬼の塊と化しながら、アナヤへ接触を試みるマヌエル。しかし待ち合わせ場所の動物園に現れたのは、アナヤではなくタニア。タニアを激しく詰る中で激昂したマヌエルは、所持していた拳銃で動物園のオオカミを射殺し、逃亡。モーテルに潜む。そこへ現れたタニア。混乱しながらもタニアを抱くマヌエル。セックスののち眠りに落ちるマヌエルの横で、タニアの携帯が震え、彼女はモーテルを後にする。その数刻後、警官隊がモーテルを包囲。タニアへの殺人未遂でマヌエルは逮捕される。拘置所で尋問を受けるマヌエルのもとへ、男が面会に現れる。その男こそがハシント・アナヤで、彼は警察庁長官の息子だった。もし別れてくれるなら、告訴を取り下げるというタニアの言葉を伝えるアナヤ。そのアナヤに対し、マヌエルは「クソ野朗」の言葉でもって応える。留置所への移送を控えたその晩、マヌエルは開いていた高窓から脱走。マルガリータを利用しながらアナヤ宅を急襲し、アナヤを激しく殴打する。そしてなぜかその場に居合わせるタニア。外へ走り出したタニアを追うマヌエル。彼女に追いつくも、待機していた警官隊に取り囲まれるマヌエル。数多の銃口に見据えられる中で、マヌエルはタニアへ問う。「俺を愛しているか?」対して、涙ながらに「愛している」と応えるタニア。そこで物語は終了する。

結局、映像として立ち現れる物語のどれが本当で、何が真実なのか全く分からないまま幕は下ろされる。全てがグレゴリオの妄想だったとも見れるし(作中、グレゴリオと同じ針でマヌエルがバッファローの刺青を入れるシーンが何度か出てくる。もしグレゴリオの病気が血液媒体で感染するものなら、、、とか。あと、マヌエルがグレゴリオと同じく"身体を這い回るハサミムシの幻覚に苛まれるシーンも出てくる")、もしくはもっと単純に、長官の息子(アナヤ)がタニアに目をつけ、彼女を手に入れるためにマヌエルを陥れたとも見れる。メキシコの司法界がどんなものなのか全く分かっていないが、イメージとしては上層部の権力は日本の比でない巨大さと影を持っていそうだし。こう見ると、マヌエルを"売り"ながらも最後に「愛している」と応えたタニアの言動も納得できるような。

それにしたって、細かなところでの伏線めいたものを考えると全くワケが分からなくなってくる。そもそも初っ端で「自殺」したグレゴリオは本当に自殺だったのか。自殺に使われた拳銃を、マヌエルが事前に入手していたとも見れるくだりも出てくるが、謎のまま。またマヌエルがグレゴリオの妹マルガリータとも肉体関係を持っていたという描写や、全く意表をつく形で登場する第3の女レベッカ(彼女もまたマヌエルとのセックスシーンをもって現れる)が、そのヴィクトリア・ベッカムに激似のサル顔と、「好き過ぎるからもう会わないわ」という強烈な台詞で笑わせてくれる以外にはその存在の必要性が全く読み取れず、何らかの意味を読み取ろうとするコチラはますます混乱することになる。

というわけで色々考えといてなんだけど、別にどれが正解でもないし、一つの真実が必要なわけでもないんだろう。雰囲気を楽しむ作品、とか言っちゃうと何とも乱暴で誤解を招きそうな気もするが、愛憎を主軸として複雑な感情が入り混じる人対人の濃密な空気感、そういうものに感覚を侵されていくような作品。「キング 罪の王」や「バッド・エデュケーション」にしてもそうだけど、こういう剥き出しの濃密な情感漂うところが、こっちの世界特有のものであるように思います。ちと乱暴なまとめ方ですが。そういう意味では、この「スペイン・ラテンアメリカ映画祭」らしい作品を観れたような気もします。本作でもセックスシーンが多く出てくるけど、先に観た「ショートバス」とはまた全く違った表情だったのが面白かった。セックスが個人の内面描写に強く寄与していた「ショートバス」に対し、こっちではもっと直接的に、身体を合わせる二人の距離感を炙り出していたというか。

ちなみにタイトルの"夜のバッファロー"は、グレゴリオの「夜のバッファローが熱い吐息を吹きかける」といった台詞の中などで出てきますが、この得体のしれなさこそが作品の特徴なのかも。青みがかった暗い色調の画面と、先の濃密な空気にずっと浸っていると、観終わった後いつもの感覚にもう一枚フィルターがかかったような感触を覚えますが、それはさながら寝苦しい夜に覚える気色の悪い感覚にも似ています。

最後に、オマー担当の劇中サントラは、作品の雰囲気とは当然マッチしているものの特別良いわけでもなく、といった感じ。Viscera EyesやTetragrammatonといたTMVの楽曲のほか、独特のエフェクトがかったギター・フレーズが空間を飛び交っていた。





TRAILER



| かっつん | 22:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
かっつん氏、暑さにうだる

かっつん氏は引き続く暑さにうだっている。うだるというのは「ひどい暑さで、からだがぐったりする」という意味だが、元々は「茹だる」という語から来ているそうだ。思えば屈強なる高気圧に列島が支配された8月半ば。空には一片の雲もなく、見上げる空はただただ青かった。"青すぎる青は赤より藍に出る"などという歌詞を、意味も分からずに歌っていた若かりし頃を思い出させるほどに青い空に包まれていた8月。確かに暑かった。暑かったがしかしそこに湿度の介在は無かった。それはさながら「焼ける」ような暑さであった。服の上から敏感なお肌を焼殺さんとする暑さであった。日陰と見れば我を争い入り込み、日傘で防ぎ損ねた腕の一部が真っ赤に火照り出してはワーキャー言うような暑さであった。そのような「焼ける」8月の背後にて、ジットリとそれはイヤラシク登場の機会を窺い見ていた「茹だる」9月。

「焼いた後に茹でるとは如何なものか!」
「俺は手の込んだ料理ではないぞ!」
「なんたる二重苦!」

かっつん氏は茹だる暑さに対し、今日もやり場のない憤りを持て余しているということだ。

| かっつん | 21:50 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
今年は秋が無いらしい
かっつん氏は3連休を屋内でベースを弾くなどしてのんびりと過ごした。いや、本当は暑すぎる上に雨まで降り、蒸し暑いことこの上なく、外に出るのが嫌になってしまっただけのことなのだが。そう書くのもシャクなので屋内でのんびりなどと書いたということだ。

しかし、篭ってばかりでは身体に毒。黴も発生する。エイヤっと気合を入れ、三宮へ出た。街ではなんたらミュージック・ストリートという名称のイベントで、あちらコチラで路上演奏が行われていた。はて、ジャズ・ストリートは来月だったと思うが。

かっつん氏が通りかかったところでは、学生と思しきグ5人組がジャジーなセッションを繰り広げていた。思いのほか、ベースの音が良い。粒立ちの良いフレーズが気持ちよく抜けていく。次に出たロッキンなグループも、ベースの音ヌケがかなり良かった。会場のセッティングが上手いのだろうか。思いがけず気持ちの良い音に遭遇し、幸せであった。暑いが。

| かっつん | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ホーム・アローン
今日は彼女が心斎橋のクアトロにKorpiklaaniを観に行ってる。
なので私は家に一人。
ちなみに今月24日は、私は一人でサンスイへPelicanを観に行きますが、
彼女は友達らとなんばHatchへ筋肉少女帯を観に行くんだと。
こうしてみると、ほんまに好きな音ってかなり違うなぁと
そんなことを思ったりしている金曜日の夜でございました。


あ、先日買ったHerbie Hancockの「洪水」を聴いてるんだけど
すげー。ほんとに音でバトルってる感じだ。
全然ムーディーじゃない。笑
ハービーの鍵盤プレイは勿論としても
ポール・ジャクソンのベースの反逆っぷりがカッコよすぎる。
| かっつん | 21:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
平野啓一郎 / 滴り落ちる時計たちの波紋



普段何となく感じていながら、それを実際の表現として形作るのが非常に難しい感覚というものがある。そうした感覚を言葉にして表現できる作家がどれほどいるのか自分には分からないが、想像もつかない巨大な物語を物語ることが出来るのと同じぐらい、そうした微妙な感覚を顕現させ得る能力というのは、稀有で特別なものだと思う。

今作には、長短合わせて9つの作品が収録されており、その中の「最後の変身」では、ある引き篭もりの青年による「手記」の形をとった回想が延々と繰り延べられていく。強烈な自尊心により、強烈に屈折した自意識。本当の自分とは?俺には何か特別な役割があるはずだという、誰しもが少なからず抱いたことのある(そして現在も抱え込んでいる)感覚が、非常にネガティヴな方向でもって繰り返し紙面を埋めていく。

読み進めれば必ず、自己の内に在る"ブタのように肥大した自尊心"とリンクし、その結果として大多数の者はそこから、出来れば見ないフリをしていたい「何ら特別な存在でない自分」をエグリ出される。

町田康の小説を読んでいる時も同じように、「本当は何にも無い」自分の本性を突きつけられるような、焦燥混じりの感覚を覚えるが、町田康の作品には(その文体も伴って)そこに一種のカタルシス(快感)が伴うからまだマシ。この「最後の変身」においては、そうした気持ち良さは全く無い。

芥川賞も受賞している作家さんだが、文体そのものに大きな特徴は無い。今作では様々に「技巧」を凝らした作品(この「最後の変身」は横書き)が収められているが、それでも表面的な特殊さ・奇抜さは強くない。ひそかに「自分にも書けるのでは」って錯覚する人も(「書けそう」と「書ける」は全く違う次元にあるんだけど)いそう。

この「最後の変身」では、複雑に折れ曲がった非常に現実的な感情が、言葉としてハッキリと表現されていく。冒頭の話に戻れば、こういう小説を書ける稀有な力を持った作家さんだということ。もう一つの中編「初七日」は途中で挫折したものの、他の作品はどれも好みな言語感覚で面白かった。前々から気になっていながらも、否定的なものが目立つ一般の感想が気になり後回しにしていた作家だが、これを機に他のものにも手を出してみようと思う。


色々と引用したくなる部分も多かったこの「最後の変身」から一つだけ抜粋。



俺は、そう、大鉈を振り回すように威勢よく、その「酷評」という技術を駆使した。《中略》とにかく、感覚任せに、少しも論理的でない悪口を書き散らした。その方が、「才能」や「センス」だけを頼りにしている感じがするからだ。切れ味鋭く、シャープな感じがするからだ!それに、そもそも反論を受けつけないという利点があった。何か言われれば、いかにもコバカにしたようにニヤニヤと笑っていればそれで済むのだ!

思うに、罵倒というのは、賞賛よりもずっと簡単で―何故ならそれは「理解」も「発見」も必要としないのだから―、しかも、そんなふうに、上から見下ろす気分を味わわせてくれるものだ。



| かっつん | 21:14 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
かっつん氏、電話口で慌てる。


かっつん氏は今日も適当に仕事を終えて帰路についた。すると鞄の中で携帯電話が震えている。普段であればかっつん氏は、登録されていない番号からかかってきた電話にはまず出ない。しかし、今日はなんとなくその電話を取る気になったらしい。

電話は、大阪の眼鏡屋さんからであった。相手が判った瞬間、かっつん氏はその内容に思い至り、今すぐ逃亡したい衝動に駆られたという。しかしそんなことは出来ないので、かっつん氏は恐々としながら用件をお尋ねした。

内容はやはり、先にかっつん氏が投稿した記事についてのことであった。内容を見た眼鏡屋さんが自分のことではないかと思い、物凄く気を回して考えた末に電話してくれたということだ。かっつん氏は

「1年ほど前にこのblogのことをお話していたが、まさかまだ見ていただいているとは思っていなかったのでビックリ転げた」

と言っている。

かっつん氏は、ネタの少ないblogに僅かでも面白みを出そうという浅薄な考えで、ヘニャリヘニャリとした文章を載せてしまったことをとても恥じている。

かっつん氏は、晩飯のソーセージをかじりながら呟く。

「やはり見ている人は見ているのだな」

かっつん氏は、未だ平静でないようである。
| かっつん | 22:59 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
かっつん氏、ミナミへ出掛ける。

かっつん氏は久しぶりにミナミの街を歩いていた。7月に神戸へ越して来てからというもの、休日にキタまで出ることこそあれ、そこからさらに地下鉄の切符代と時間を捻出してまでミナミへ出る気にはならなかったからだ。ほんの1年前には毎週のように出歩いていた街の雑踏が、妙に懐かしい。しかし

「人が多過ぎる。前に進めない。」

かっつん氏は久しぶりに遭遇した巨大な人の群れに、酔った。

なんという貧弱。
しかし、せっかく切符代と時間を捻出してまでやって来たのだ!このまま都会の雑踏如きに呪詛の言葉を呟きながら帰ることがあってはならない。気を取り直したかっつん氏は、馴染みの眼鏡屋を覗くことにした。店の扉を潜ったかっつん氏は、馴染みの店員に声をかけた。

「こんにちは」

妙な空気が流れたが、構わずかっつん氏は続けた

「お久しぶりです!!」

ここにきてかっつん氏は、完全に空気を読み誤ったことに気づいた。

間違いない。忘れられている。

微妙な空気にその店員を苦しませてしまった責任を取ることなく、かっつん氏は店から逃げ出した。

もうしばらくミナミへ来ることもないな。かっつん氏はそう言っている。


| かっつん | 22:27 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
こいつ、8万もすんのか。
現在私自分がいる部署には、自分も含め担当さんが計12名。
そのうち3分の1にあたる4名がギターもしくはベース経験者。
その中の一人、気前のいいオッチャンから、
家を漁っていたら出てきたというエフェクターをいただきました。








それがコレ。
Boss Spectrum Sp-1







え?何!?
って感じですな。まるで聞いたことのないエフェクター。
調べてみたところ結構なレアなものらしく
中古市場では大体8万円ぐらいの値が付いてるみたい。



本日仕事帰りに9Vの電池を買い、帰宅して遊んでみた。
パライコみたいなもんや、ってくれた人は言ってたけど
確かに特殊なイコライザーって感じ。
ツマミのいじりようによっては、ワウみたいな音が出る。
しかしこれ、自分にはかなり必要のないエフェクター。笑
レアものって言ったって、猫に小判じゃ意味ないし。
そもそも短期間で製造終わっちゃったエフェクターなんて
需要(魅力)が無いからそうなるんだと思うんだが
それにこんな値段が付くっちゅうところがよく分からん、、、

「中古で売ったらかなりええ値段なるみたいですが」
って言ったら
「使ってみてオモロなかったら売ってええで。その金で2回は行けるから。笑」
とのこと。
2回は行かないが、秋もののスーツ代に変わりそうな気はする、、、

| かっつん | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ショートバス@テアトル梅田


「ヘドウィグ&アングリーインチ」の監督ジョン・キャメロン・ミッチェルの新作。今作ではセックスという行為が一つのシンボルとして、かなり頻繁に描写される。のっけからボカシ連発の内容で、ゲイ男性の3Pとかバンバン出てきて結構ドギツイ。ただ、セックスそのものがテーマというんではなく、主たるものは、そこを通して浮かんでくる、言葉で単純に表現出来ん複雑な感情の有りようだと思った。

作品には、セックスに関して色々な倒錯をもった人間が登場する。倒錯自体は色んな分野においてあるものだけど、性的な倒錯始め、なまじ本能的な部分によるそれって、自分と違う嗜好を持った相手のことを受け入れたり、理解しようとするのは思ってる以上にしんどい気がする。本能的に「当たり前」だと思っている各々のスタンダードが違うんだから、最終的にどう頑張ったって歪みが生じる。

で、そんなどうしようもないフラストレーションや抑鬱、葛藤といったものを、ジワジワジワ〜っと炙り出していく本作。タイトルの「ショートバス」は、"通学用の細長い送迎バスではなく、変わった子達専用の短いそれ"の意味あいで、本編では様々な性的倒錯を持った人間が集まるサロンとして描かれている。サロンの主人ジャスティン・ボンドが「とにかく色んな回路を試さなくっちゃ」って台詞をいうシーンがあるけど、結局のところそういうことで、人間関係なんて合うか合わないかだけのことであって、何かしらの倒錯を持つ人間にしても、今の相手方との間に広がっていく亀裂を上塗り補修して関係を続けるよりも、それをオープンにすることでいったん全てを破壊して、その後に新たな関係を構築していったほうがよっぽど効率的だよなーと感じさせられたりした。ただ、自分の場合はそっから直ちにフリーセックスをはじめ、60年代のヒッピーカルチャーめいた思想に繋がりはしなかったけど、そんな破壊と構築のための効率的な場所として、こういったサロンもありなのかな、とチラリ考えたりはした。

画的な話に戻ると、所々でいきなりバーンとシュールな映像が挟み込まれたり、ポップなアニメーションによって全体を俯瞰してみたり、あるいは場違いに賑やかな音像が溢れ出したりする瞬間があったりと、見ようによってはかなり強引、というか意味不明な転換もありますが、この辺は単純に観る側を飽きさせないための要素プラス、各人が抱えるどうしようもなく閉塞してしまった回路→感情のスパークといった内面描写ともマッチしているようにも。。もやもや〜っとして何ともやるせない感覚を、うまく描いている作品だなと思った。

「9ソングス」や「ひかりのまち」のマイケル・ウィンターボトム作品から叙情性を取っ払って、代わりにちょいオーガニックな色彩を埋め込んだよう肌触り。サントラにはヨ・ラ・テンゴやアニマルコレクテイヴなんかが使われていたけど、こちらのほうは特に何らかの印象としては残らなかった。



公式サイト
| かっつん | 20:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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