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ジグマー・ポルケ展@国立国際美術館
半ば諦めていた週末休暇。が、何とかお休みを頂戴できることに。
一週間酷使された身体はかなーり切実に休息を求めていたものの、
ここで寝て一日を過ごしちゃったりなんかしたら
それこそ何のために生きてるのかわからなくなるので
意地でも出かける!との決意を胸に(大袈裟)
前から気になっていた上記展へと出かけた。

お昼前、まずはランチ。
と思ったものの、土佐堀界隈のお店は軒並み日曜定休。
うお、もしや食いっぱぐれる!?と思い若干焦るも、
美術館すぐ近くのギャラリー兼ライブハウス兼カフェスペース、
『graf』が開いていたのでここでお昼にありつく。





4階にあるカフェスペース。
週末になってようやく春めいてきた陽射しが差し込む店内。
開け放たれた窓から見えるのどかな景色。
綺麗とは言いがたいもののゆったりとした川の流れを眺めつつ食べる。
自分はパスタランチ。彼女は豚肉と筍のはすまずなんとかとやらを。
食後のカプチーノには、シナモンでgrafの文字。
ここ、結構好きだ。ゆったりできます。




で、無事お腹も満たされたので美術館へ。前回の瑛九展の時と同様、今日も何だか空いている。雑誌などで掲載されていた「不思議の国のアリス」などから、けっこうポップな作品をイメージしていたのだけれど、大型の作品を中心とした展示作品の多くは、精神世界をカンヴァスの上に模したかのような、抽象的な作風のものが多かった。プリント布地を下地に、黒雲母や顔料、人口樹脂などを交えて構成され、線描のシルエットが随所で塗り潰されたような作品の多くから、その隠された部分が醸すエロティックな要素を感じたりした。しかししかし、とりとめなく紡がれる線が脈絡なく伸張し、ヘンテコな造形物を産出していっている一連の作品なんかをずーっと見ていると、この人は(悪い意味ではなく)精神年齢の低そうな人やなーと思ったりした。子供のような発想を、特に深く考えることなく発露しているような。茶目っけのあるオジイチャンという感じか。




その後、ミナミへと戻り、最近結構な頻度で通っている
黒門市場近くのケーキ屋さん『プルミエール』へ。
写真はチョコレートのオランジェ。
コーヒー飲んでまったり。
明日からまた頑張らなくては。。
| かっつん | 20:59 | comments(2) | trackbacks(1) | pookmark |
このまま天に召されるかもしれないわ
皆さんコンバンハ。最近何だか更新が滞ってしまっておりますが、というのも下に書きましたように今春から超激務の部署へと異動になってしまい、毎日毎日馬車馬のように働いておる次第でございます。ここ5日間の残業時間を数えてみますと、何とまぁ34時間ですよ。マジで。昨日なんて朝の4時前まで働いておったのですよ。信じられない、と呟きながら。たぶん余裕で今月の給料は通常比2倍を超えますな。しかし金は要らん。時間が欲しい。死ぬ。今日も帰ろうと思ったらすでに電車の無い時間帯となっておりまして、タクシーに乗って帰ってきたわけですが、タクシーの運転手さんがこちらの地元の地理にあまり敏い人ではなかったため、途中で道を間違えかけ、慌てて一通の道をバックで逆そうし始め、後ろから巨大トラックが地響きをたてて迫ってきた時には、「あぁこのままドカーンといって死んだら楽だろうな」などという考えがチラリと脳裏によぎったり、、、はさすがにしませんでした。まだ大丈夫。しかし今日、というか昨日になるのか、もうよく分かりませんが、とにかくそんな深夜に職場を後にしたというのに、出る時に言った台詞が「お先に失礼します」ですよ!信じられん。係長以下まだ全員残っておいででした。きっとまだやってる。この5日間のうち、何度頭の中で「やめる」「やめない」を花びらをちぎりながら夢想したことやしれません。今のとこ「やめない」で留まっておりますが。ってかまだ1週間行っただけだ。GWも無いようです。ひーひー。しかしレビューを書きたいCDがたくさんありますので、これは死んでも書こうと、そういう風に思っている次第でございます。ってかこんなアホなこと書いてるうちに寝ろ!という話ですが。
| かっつん | 02:28 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
近況
昨日内示が出され、来週から異動に。
異動先は誇張でなく月の残業が100時間とかいく部署だそうで
もう行く前から死んだような気分になっています。
金なんて要らないから時間がほしい。
音楽聴きたいし本も読みたい。
20代の貴重な時間を喪失するのかと思うと
ほんとにキツイ。
精神的にかなり脆い人なので、
たぶん死ぬ。ぐぅ
| かっつん | 21:18 | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
美音、たくさんの菓子と共に来たる
私はよく海外のレーベルからCDを直買いします。
理由としては下記のようなことが挙げられます。

1.その欲するところのCDが日本には流通していない。
2.Amazonのリストにあるが高い
3.Amazonのリストにあるが3〜5週間待たなければならない
4.試聴して気に入ったらすぐさまその場でポチってしまう

一番多いのは4番だと思うのですが、
まぁ理由はさておき、
結果として国際郵便で届くCDがかなり多くなります。

こうした海外レーベルからの直買いは意外とお安く、
送料込みで10$程度なんてことも全然珍しくない。
大手外資系レコードショップでは、
輸入盤に軒並み2500円あまりの値がつくような昨今、
それなりに多くの枚数を聴く自分のような人間が
こうした買い方に傾倒してしまうのも無理はない、
と我ながら思う。金無いし。

そして価格以外での楽しみもついてくる。
これは弱小レーベルほど顕著なのだけれど
海外からの注文が珍しいのか、
CD本体以外にやたらとプレゼントを同封し、
送って(贈って?)くれるのだ。

多くの場合はレーベルやアーティストのステッカー、
もしくはハガキだったりするのだけれど、
中には所属アーティストのCDSやら、
コンピCDなんかを付けてくれたりするところもある。
そして多くの場合には手書きのメッセージが添えられていて
それだけで何だか嬉しくなったりしてしまうのだ。

さて今回、いつもと同じように海外から届いた一枚のCD。
が!開けてビックリ玉手箱(古い)、
中から飛び出すキャンディー、ガムにチョコレート。笑
菓子かよ!俺は子供か!と苦笑しつつ、
何だかその人の人柄の表れ具合に和みまくる。
しかも何気に折り紙の鶴も二羽同衾していたり。笑

私達の音楽に興味を持ってくれてホントニアリガトウ!
というメッセージもまた初々しく、
思わず拙い英語でお礼のメールを送ってしまった。
まだ未経験の皆さんも、
思い切って一度海外通販生活を満喫してみては?
↑お前誰だ?というツッコミは無しで。

とまぁそんな些細な出来事により
かなり疲れて帰ってきた自分は慰められたりしたのでした。

| かっつん | 20:47 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
フンデルトヴァッサー展@国立京都近代美術館
本日お昼から行ってまいりました。が、その前にまずは腹ごしらえ。
東山駅からすぐの商店街にある蕎麦処『なかじん』へ。



蕎麦通には有名なお店なのか、カウンターのみの店内はほぼ満席。
彼女が予約を入れておいてくれたため、スンナリと座れた。
場の雰囲気に飲まれやすいこともあり、いささか緊張。
よく分からないままに、粗碾きそばを頼む。

まずは蕎麦の匂いを嗅いでみてください。
と言われて出された蕎麦。
ブツ切で穀物然とした食感は、今までに食べたことのない感じ。
ツユで食べるより、塩のみで食するほうが美味かった。
しかしこういう時、某アイドルグループの食通氏のように
気の効いたコメントができればなー、といつも思う。
無理だが。
わー・なんか・すごく・ウマイ!
という毎度のアホなコメントに終始。
一度でいいから「麺の加水量が云々」などと言ってみたい。
あと10年は間違いなく無理だけど。
さすがに足りず、コースにすべきだったと後悔。

その後、てくてく歩いて近代美術館へ向かい、
お目当てのフンデルトヴァッサー展へ。



これまでフンデルトヴァッサーの作品といえば舞州のゴミ処理場しか知らなかったため、原色の乱れ飛ぶどこか毒々しいイメージを漠として持っていた。『自然との理想的な関係構築』を根源的なテーマとして掲げるフンデルトヴァッサーの作品は、強い色彩が入り混じった有機的な感触のものがほとんど。なのだけれど、その有機的に増殖する(というか既存の物体を浸食する、と言ったほうが正しいのかもしれないけれど)オブジェクトの大外には、しっかりとした骨太な枠組みが感じられ、例えばガウディの建築物のように、予測不能に蠢くモノに対するような不安感は感じない。むしろ非常に心地良い。有限的というのではなく、無限に可能性を感じさせる因子を内包した容れ物が、その容れ物自体が中の因子とともに伸張していく感覚、というのか。うーん、上手く言えない。なんか・むっちゃ・スゴイの(笑)

フンデルトヴァッサー氏の一貫したスタイルは何時も変わらないのだけれど、時代によって若干のニュアンスの違いが感じられ、80年代後期からのかっちりとした、幾分押し出し感を増した「完成した感の強い」作品群の壮麗な力強さも良かったものの、60〜70年代にかけての、それぞれの因子に浮遊するような柔らかさを感じる作品が最も好みだった。しかしホントにキレイな色使い!むやみに陽性の面を強調することなく、だからといって決して陰鬱でも無い独特の色彩渦巻く絵画群は、どれもほんとに鮮やかで、なおかつ独特の温度を伴って眼に映った。すっかりフンデルトヴァッサーの虜になり、会場を後にした。



会場を出ると、アララいつの間にやら曇り空。
小腹も空いており、彼女が下調べしておいてくれたお店へと向かう。
La Voiture(ラ・ヴァチュール)という喫茶店。
お婆ちゃんが作る林檎のケーキ「タルトタタン」が名物だそう。
数量限定だからあるかなー、と言いつつお店へ。
聞けばまだ普通にあるそうで(笑)、二人ともそれを注文。
たぶん数量限定というのは嘘だろう。
それか一日1000個限定とか。笑
お婆ちゃん猛烈に作る!みたいな。
なんて、ふざけてすみません。
きっとお婆ちゃんがたくさんいるに違いない。



そしてこれが噂のタルトタタン。
写し方が下手なので美味そうに撮れませんでしたが、
しっかりと煮詰められた林檎が柔らかな甘味を放ち
ホッとする美味しさ。落ち着きます。

降り出した雨とともに、ヒンヤリとした京都の町を歩き
明日から待ち受けている激務に思いを馳せ、
いささか鬱になりそうな気分に浸りながら帰る。
| かっつん | 19:03 | comments(2) | trackbacks(1) | pookmark |
赤より青のほうが辛いという事実
すっかり暖かくなったねー、なんて思って油断してたら風邪を引きかねんぐらいに何だかヒンヤリしてる昨日、今日。そして今日は雨。雨だと街中の移動に困るんだよ!と誰かに言う。言いつつも昼頃から街中へ出る。

本日のお昼は南堀江にあるタイ料理店『MAI-THAI』へ。お昼にご飯ものが食べたくなったらここに来ることが多い。いつものことながら頼んだのはそのご飯もの。鳥肝とかが入ってて美味。

だが危険ブツも混入されている。タイ料理だから当たり前なんだけど、多くの中に紛れ込む赤と青の唐辛子。そしてこれがまたピーマンと見分けがつきにくいのよねー。間違って口に入れたらさぁ大変。炸裂!します。辛い!とかじゃなくて炸裂!ギャフンという声も出ずに涙目になります。赤よりも青が怖い。赤はまだヒーヒー言ってりゃ治りますが、青は死ぬ。いと辛し。辛死。

本日いつもよりその青色の君の混入具合が多かったのですが、注意深くより分け無事完食。ヘヘヘ、シェフめ参ったか、辛くて悶死してる様を見て笑おうって魂胆だろうがそうはいかねえぜ、とばかりにキレイにより分けた唐辛子群を並べ奉り、ご馳走様。セットのタイ風ラーメンともに美味でした。

| かっつん | 22:31 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
佐藤哲也 / ぬかるんでから


13の短篇。にして傑作。描かれるのはどれも普通に考れば「ありえない」としかいいようのない物語でありながら、しかしそれがこの筆者の物語る力に依った時、その世界は圧倒的なリアリティをもって読み手の内に現前する。

それにしても、ここで密に紡がれる言葉の力たるや。本書を形容するに相応しいフレーズが、喉元まで這い上がりながら言葉に至らず読み進める。一言で言えば奇妙、なのだけれど、何かもっとピタリとくる形容があるような。だが分からない。この分からないという感覚が、実は今作を言いえている?硬派なのか軟派なのか高尚なのかバカなのか、最後までそうだ!と断定することが自分には出来ない。まぁバカという表現には語弊があるだろうけど、しかし其処此処に散りばめられたどこか浮世離れした言葉の行軍は、果たしてそれが「文学」という括弧書きで語られるべき深遠な思念哲学の具現化なのか、それとも作者の単なる露悪的趣味の発露による産物なのか?分からねー!どっちだ?例えばこうだ。

伯父の家は人里離れた土地にあった。四方を丘に囲まれたその土地では森が鬱蒼と茂って暗い影を作り、見回せばそこここに霧が、昼の光の最後の一瞥を浴びてあたかも輝く幽気のように巨木の根元にまとわりついていた。ねじくれた根は模糊として地を這うヴェールから海蛇のように首をもたげて絡み合い、歩みを進めようとするわたしの足を巧みに先回りして阻もうとした・・・(やもりのかば P.105)

こんな素敵な記述にも関わらず、この直後、カバが登場する。しかも普通のカバではなく、足の裏に吸盤を持ち、その吸盤をもって天井から逆さに吊り下がるカバが、、、ちなみに冒頭の伯父はこのカバの墜落により圧死する。

さらにこうだ。

動悸は昂進して血という血は頭に集まり、こめかみは騒々しいまでに音を立てていた。意識はいつしか頭からはみ出し、汚れた大地に向かって滴っていた。視界は暗転し足は地面の所在を求めていつまでもさまよい、手は支えを求めて宙を漂った。[中略]崩壊しつつあったのは肉体ではなく、精神であった。わたしの精神は滅亡から免れるために闇を必要とし、自我は崩壊から免れるために誰かの手を必要としていた・・・(巨人 P.131〜132)

このような高尚な言語によって物語られる男は、果たして何をしているのか?彼は公衆の便所で用をたしている中途に、自らのペニスがもげてしまい、その異常事態に我を失い、その死に行く男根を手にこうしてもがいているのである。

しつこいようだが、こんなのもある。

目を閉じれば懐かしさが込み上げてくる。世界に手を触れることができた少年時代、過去もなく未来もなく、その瞬間しかなかったあの時代。[中略]あの事件があった年、わたしはたしか四歳か五歳で、手足を自在に操る技を習得してからまだ日が浅く、おもてを走り回ることに幼い情熱の大半を費やしていた。情熱の残りは転んだり落ちたり傷をこしらえたりして、目から涙をこぼして家に走り帰るために使われていた・・・(きりぎりす P.164)

美しいノスタルジアを醸成する、霞がかった言葉により紡がれる「あの事件」というのが実は、銀色の外套をまとい、チェーンソーでもって人々を殺戮する巨大キリギリスが巻き起こす恐慌のストーリーなのだ。

ふざけているのかマジなのか、そのどちらでもないのか。そして何ともいえぬ奇妙な読後感に襲われる作品は、しかしどれもこの上なく「面白い」のだ。こんなに面白い作品にはそうそうお目にはかかれないというぐらいに。絶対に好き嫌いは分かれる作品だが、各作品に冠されたタイトルを見、少なからずこれに惹かれるものを感じた人は、十中八九お気に召すだろうという気はする。


「ぬかるんでから」
「春の訪れ」
「とかげまいり」
「記念樹」
「無聊の猿」
「やもりのかば」
「巨人」
「墓地中の道」
「きりぎりす」
「おしとんぼ」
「祖父帰る」
「つぼ」
「夏の軍隊」
| かっつん | 21:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
朝の光景の中で
「人はブチっとキレルたびに、自己の内に在る脳細胞を死滅させてしまっている」といった記述を何かで読んだ。それを見た直後の自分は、そうかそうかいちいち世の理不尽に反応してイライラしていたらどんどん脳細胞が減っていってただでさえ馬鹿なのに一層バカになるなうん気をつけよう。と思った。

が、その自制長く続かず。自制は過去時世とともに忘却の彼方へ。人混みの渦中にて、歩きタバコの輩にぷはぁっと顔面に煙を吐きかけられムカッ!お前はトーマスか。そして本日朝も通勤電車で一人腹を立てる。本日信号機故障だか何だかで電車が遅れた影響で、ホームへ滑り込んできた電車の車内は明らかに通常比1.5倍の人密度。プシューっと扉が開くも、間際に並んだ紳士淑女の足足足。しかし私は知っている。ホントは車内にもっともっと人が乗れるだけの空間が在ることを。それでも皆さん揃って知らん顔のスマシ顔。「もうこれ以上乗れませんよ♪」みたいな顔して並んでる。絶対奥に詰めようとしない。けれどもホントはそうした隙間が多分に背後に在ることを認識しているか否かは不明ながら、ホームの待ち人は当然そこへ乗り込もうとする。中の乗客、今にも舌打ちせんばかりの迷惑顔をもって、新規登場客に対して抗議の視線を投げかけるが、オイ待て君たちと私は思う。ホントは後ろに隙間あるんだろうが。何で詰めないのですか?何でわざわざ入り口で不快な押しくら饅頭を繰り広げるのですか?と言いたい。そしてやっぱり「これ以上人が乗る余地はありませんよ」といった風情で佇んでいた先客達の振る舞いに反し、この駅でも次の駅でもその次の駅でも、新しく乗ってくる多くのサラリーマンを、この電車は最終的には飲み込むことが出来たのでした。物理的に可能ならば、わざわざ双方に不快な思いをさせることなく、イジワルせずに気持ちよく乗り降りできるような配慮をどうしてしないのか、いつもこうした光景に出くわすと思うのです。ひょっとしてこんなところで日頃の鬱憤を晴らそうとしてるのか!何て子供っぽい奴らだ!そんなことを考えながらイライラ〜イライラ〜イライラ〜今日もたくさんの脳細胞が昇天していったのでした。
| かっつん | 22:29 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
衣食近況
4月8日土曜日
昼前から大阪キタへ出て、中津にあるパキスタン料理店「シャリマール」でランチ。サラっとした感じのカレーは、辛さが1〜5まで選べる。この辛さ調節の方法はというと、まんまそのもの唐辛子の配分量に依るものでありまして、2を選んだ自分に対し、4を選んだ彼女には2倍の量の真っ赤な粉末状物体が添加されており、ちょっと笑った。あまり期待してなかったものの、意外や好みの味で美味しかったです。

その後、テアトルで映画を観たあとは、ミナミに戻り晩ご飯。歌舞伎座裏にある「ブラッセリー 楽々座」へ。ちょっと前から気になっていたこのお店。先週行ったときは満員で入れなかったので、今回は事前に予約を入れておいた。カウンターメインの、15人も入れば満員になってしまいそうな小狭い空間を切り盛りするは、どこぞの有名ホテルで10年以上勤めておられたご主人と、奥さんと思しき女性。注文したのは

・カキのポッシェ クリームソース
・フレッシュチーズの盛り合わせ
・ペペロンチーノ
・仔牛の香草パン粉焼



写真は仔牛の香草パン粉焼。どれもものすごーく美味いうえ、さすが見た目も非常に綺麗。視覚味覚ともに楽しむ。皿の出し引きのタイミングも完璧。肩肘張らずに食せる美味しいワインとイタリアン。月1ぐらいで通いたいなー。金があれば。



4月9日土曜日
昼からミナミで買い物をする。南船場のほうをフラっと見たあと、クアトロ向かいの雑居ビルにあるメキシコ料理店「エル・パンチョ」でお昼。メキシカンセット最高。何度食べても飽きないわ。お腹を満たした後、UNITED ARROWS御堂筋店の隣にオープンしていたTomorrowlandを覗く。以前はエディ・バウアーがあった場所だと記憶。店内広し。入り口で一瞬構えかけたが、そこを抜けると結構オープンな雰囲気。彼女が靴を選ぶのを横で見ていたが、店員の方の接客はかなり上級。客に変なプレッシャーを与えずに、気持ちよく買い物させてくれそう。



自分は別のセレクトショップで、Tシャツを買う。「意味の分からんロゴが入ったTシャツは買わん!」と決めていたはずなのに、買ってしまう。意思薄弱。Tradictionって何だ?造語?アホなので分からない。確か今季、LADMUSICANがデニス・モリスとのコラボにより、PILの写真を使ってこういったデザインのカットソーを出していたと思うが、これは何となくそのパクリのような気がする・・・しかしこの某ドメスティックブランド、安価で良質の素材/シルエットの服をたくさん出してくるので、個人的には昨年からかなり気に入っていたりする。今回のプリントも、なかなか凝った処理が為されていて面白い。しかしTRADICTIONって何だろう?
| かっつん | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
リバティーン@テアトル梅田


17世紀イギリス。閃光のように現われ、燃え尽きた美しき男―
実在の人物である第二代ロチェスター伯爵の波乱に富んだ人生を描いた伝記的ドラマ。性に対する考えが発展し始めた17世紀。猥雑な性描写を交えた詩をよみ、世間への強い影響力を持っていた彼の、太く短い生涯が鮮烈に描かれる。


良くも悪くも2時間の上映時間を「短く感じた」作品。17世紀を舞台にした歴史ものだが、セットやストーリーで見せる(魅せる)のではなく、ジョニー・デップを始めとする役者の演技を主に展開する向きが強かったように思う。常人離れした明晰な頭脳と感性、繊細な神経を兼ね備えたロチェスター卿が、その才能故に自らが生きる時代とうまく相容れることができず、堕ちていく様が描き出されていく。

「現実の世界には何の面白みも見出せない。だが、芝居小屋の中は別だ。そこでは善悪全ての行動に結果が付帯し、一瞬の鮮やかさでもって心を魅了する。これだけが私の人生における唯一の薬なんだよ」「心揺り動かされ、役者へと喝采を送る観客の一人に、私も加わりたいんだ」

序盤、サマンサ・モートン演じる新人女優/リジー・バリーに対しロチェスター卿が訴えかける、彼の内面性が激しく炙り出されるようなこのシーンが、個人的には一番感慨深かった。こうした内面描写がもう少しあっても良かったように思うし、全体としてもそれぞれの人物の心情の機微、成長(もしくは失墜)の様が順を追って丁寧に描写されていても良かったかな、とも感じた。10時間ぐらいの上映時間で観てみたいなーと、鑑賞後冗談交じりに話していた作品でした。
| かっつん | 20:15 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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