佐藤賢一/剣闘士スパルタクス
2007.08.09 Thursday | category:本
西洋歴史小説の雄、佐藤賢一の04年作。以前目にした書評があまり芳しくなかっ
たので、これまで読んでいなかったんだけど、今回中央公論新社から文庫化され
たのを機に、手を出してみた。
ここ最近『カポネ』『女信長』『アメリカ第2次南北戦争』と、異ジャンルへフィ
ールドを広げようとして迷走している感がする佐藤氏だが(アメリカ第2次〜は未
読)、久しぶりに今作でその文体・世界に触れるにつれ、やっぱオモ
ロイわこの人!と思った次第。
共和制ローマにおける剣闘士奴隷といえば、あの有名な円形闘技場において、来
る日も来る日も観客たるローマ市民の娯楽のために、命がけの殺傷試合を強いら
れる存在。その端麗な容姿(作者の想像だが)と無類の強さにより、ローマ世界
において確固たる地位を築いたトラキア人奴隷のスパルタクス。強大なパトロン
も付き、市井の名誉、及び悪くない物質面での充足も得た彼だが、所詮は「ロー
マ帝国の奴隷にすぎない」自らの境遇に気づき、やがて脱走を企て、決行するこ
とになる。
元老院が差し向ける討伐軍をことごとく撃破するスパルタクスのもとには、その
先々で農園からの脱走奴隷が流れ込み、最終的には10万を超える大軍へと変じていく。自然、集団の総帥として崇め奉られる中で、スパルタクスは様々に苦悩煩
悶する。やがて"自分は剣闘士に過ぎない"と達観した彼は、ある一つの方向に向
け歩き出すことになる。
佐藤作品においては、こうした主人公による泥沼の煩悶と、やがてその奈落より
打ち開かれた活路が放つ、輝かしい高揚感の対比構造が一つの大きな魅力になっているが、その面から見れば今作は若干弱めかもしれない。というのも、いかに
も剣闘士らしい(変な言い方だが)視点から行われる逡巡は、例えば同時代を描
いた『カエサルを討て』のウェルキンゲトリクスやユリウス・カエサルのそれな
んかと比べると、かなり平坦な感じがするから。
でありながら、全体を通じての覚える興奮の度合いは、他の著作と比べても全く
ヒケを取らない。そもそも今作、著者によればそのアクションシーンの描写にこ
そ存分の力を注いだ作品だということで、先に書いたような人間の内面感情の起
伏よりも、活劇的な場面描写による刺激こそを強く打ち出した作品なのかもしれ
ん。絶対絶命の窮地から、最後には活路を見出しそれを撃破する描写の連続は、
アドレナリンばんばんものの昂揚具合。非常に攻撃的で、しかし初期作『赤目の
ジャック』のようなえぐい生々しさを綺麗に取り除いたような本作は、オーソド
ックスながら良い意味で『娯楽』の粋を集めたようで、大変面白かったです。
(追記)
前にどっかで書いた記憶があるが、1人で100人の敵と対峙してなお、難なくそれ
を打ち倒してしまうような「超人」を自由に登場させ得るこの西洋古代史こそ、
佐藤氏の独壇場だと思う。歴史学の博士課程を修めている著者の、異常に緻密な
知識がバックボーンとなることで、その「フィクションであるはずのもの」は一
気に「歴史上の事実」と錯覚させうるリアリティを持つに至る。歴史の教科書な
んかで「クラッススはBC73年に起きた剣闘士スパルタクスの乱を鎮圧し〜」で終
わる数行の字面の背後には、こうも劇的な事実があったのかと、そうした当たり
まえの事(想像による創造だとしても)に物凄く興奮する。強烈な現実味を帯び
た世界で行われる、超人による非日常めいた躍動は、歴史小説というジャンルに
特有の昂揚を、見事に浮き立たせているように感じた。
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