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森見登美彦/太陽の塔


最近久しく読んだ本の感想など書いていなかった。うは、これ面白い!!是非にもこの興奮を書き散らさねば!という本があまり無かったということもあるのだけれど、何より書いても書いても毎度毎度同じような文句同じような言い回ししか産み出さないヘボイ観点発想にしか辿り着けない私のオツムが悲しそして悔しいという、年に1度ばかり訪れる自己文章嫌悪期間に陥っているからでもあった。結局のところ無いものは出ないのであって、どれだけ自己の書き物に対して自虐的気分に浸ろうが何をしようが帰るところは一緒。自らの旨味のない文字群に対して恥ずかしいと思う気持ちを、書きたいという気持ちが上回る時期がやってきてまた恥ずかしげも無くまた書き始めるというサイクルがお待ちしているだけなのだが。

って初っ端から全然関係ないことを言っているようだけれど、往々にしてそうした沈潜期から引きずり上げ脱出させてくれるのが、面白い(とりわけ特異な文体の)小説だったりする。自分好みの文体に出会ったときのあのなんとも言えん昂揚感。どばーっと文字が流れこみ、どばーっとそれを放出してくなるような心地良い瞬間。それをこの『太陽の塔』は久方ぶりにもたらしてくれた。

今調べていて知ったが、今作は日本ファンタジーノベル大賞受賞作である。だから一時期大手の書店で平積みになっていたのだね。このファンタジーノベル大賞、確率としてはそれほど高くないが、中にとんでもなく面白い(というか自分に合う)作品が出てくることがある。佐藤哲也、佐藤亜紀、酒見賢一、池上永一といった作家は、この賞を通じて知った。皆全て特異な世界を描く作家さんである。

で、この森見登美彦はというと、1年ほど前に、今作の後に刊行された『四畳半神話大系』をジュンク堂書店でなんとは無しに手に取り、少しだけ立ち読みならぬ座り読みをしようと思い腰掛けページを捲ったが最後、なんと1時間ばかし読みふけってしまったという記憶がある作家さん。





さて、いい加減この『太陽の塔』の中身について書かなければ。今作の中身を一言で表すならば、"京大生による、いかにも京大生らしい、自己を取り巻く世界を斜に構えてというよりは180度反転させ更に激しくツイストを加えて伺い見たような、自爆せんばかりに過激でしかし日陰者の匂いをプンプンにさせるような、妄想と特異過ぎる視点によって捉えられた日常の描写"という形容が思いつく。一言じゃねーじゃねーかよーという声も聞こえてきそうだが、そこはスルー。こんな記述がある。




我々は二人で頭をつき合わせては、容赦なく膨らみ続ける自分たちの妄想に傷つき続けて幾星霜、すでに満身創痍であった。そうして我々は「世の中腐ってる」と嘆くのだったが、正直なところ、時には、世の中が腐ってるのか我々が腐ってるのか分からなくなることもあった。ともかく、我々の日常の大半は、そのように豊かで過酷な妄想によって成り立っていた。

かつて飾磨はこう言った。

「我々の日常の90パーセントは、頭の中で起こっている」






作品は、一人の京大農学部5回生(但し休学中)の語り(というより騙りという表現のほうが良いかもしれない)によって活き活きと描かれていく。だからその舞台は、もちろんのこと京都だ。世間一般的には"モテナイ"部類に属する彼は、しかし所属していたクラブの後輩である水尾さんという女性と恋に落ち、わずかな期間ではあるが世の一般的な男女と同じように「恥ずべきものであるはずの恋を恥ずかしげもなく謳歌」し、しかしやっぱり彼女から突然袖にされてしまう。そこで彼は「決して水尾さんに対する未練に基づくストーカー行為などではなく、彼女はなぜ私のような人間を拒否したのかという疑問を解明するという副次的な目標を持った、緻密な観察と奔放な思索、および華麗な文章で記され文学的価値も高い"水尾さん研究"を行っているのだ」というのが導入部である。


そんな彼の周りには、同じく京都大学に所属するいくばくかの同類が集まる。それはどんな人間どんな人物であったか?



我々はクリスマスを呪い、聖ヴァレンタインを罵倒し、鴨川に等間隔に並ぶ男女を軽蔑し、祗園祭において浴衣姿でさんざめく男女たちの中に殴り込み、清水寺の紅葉に唾を吐き、とにかく浮かれる世間に挑戦し、京都の街を東奔西走、七転八倒の歳月を過ごした。真剣に戦っていたわりには、誰も我々の苦闘に気づかなかった。敵はあまりに巨大であり、我々の同士はあまりに少なかったのである。




という人間が3,4人。で、結局のところこの文章が全てだと思う。これを読んで「ハァ?」やら「キモイ」と思った人は、絶対にこの本は合わない。と同時に、たぶんこのblogを読んでる人の中にこれを単純に「キモイ」と感じ、切って捨てる人は少ないような気もするけど(笑)



さておき、こうしたある意味で不器用な人間が日常のごく些細な出来事に反応し、行動し、時にその思いを吐き出していく。これが本当に面白い。序盤から中盤にかけては、面白くない頁が一つも無いぐらい、いちいちその記述が笑いを誘わんとフイに飛び出してくる。




気象予報士は二月初旬の寒さだと言っていた。この調子で寒くなってゆけば二月本番には昭和基地の風呂場なみに寒くなるに違いない。氷河期が近いのだろう。このまま現代文明は氷山の中へ閉じ込められ、我々はかまくらの中で餅を焼きながら氷河期が終わるのを待つ羽目になる。



「雷か」
飾磨が、ふいに弱々しい声を上げた。この男、往来で雷に出会おうものなら、電撃に打たれる確率を引き下げるために今出川通りを匍匐前進するような男だ。






こういう表現ってとかくやり過ぎると鼻につくというか、嫌味な感じが表出してくるものなんだけど、この作者の書く文章を読むだに、その物事を伝えるための必要最低限の言葉の上で乱舞する「イチイチ余計な」付帯表現にしっかりと紐をつけ、その総元をがっちりと掴んでいるような巧さが感じられる。それは作中に現れる"しかし、酔うまい。決して自分には酔うまいぞ"という台詞からも読み取れるような気がする。巧いなぁ。だからどれだけこうした類の言葉が連続して噴出しても、飽きることなく笑い転げさせられてしまう。まぁ実際には笑い転げるというよりも、ニヤッと不気味に頬の筋肉を痙攣させられるといったほうが正しいのだけれど。この文体はホントに素晴らしい。


とまぁそんなこんなで、あっという間に読み終わってしまうのだが、表題の"太陽の塔"は、見方によっては作中におけるキーではない。だけど、かなり印象的な登場を数度に渡って行う。特に、この太陽の塔に対する畏敬とも言える念の短い描写には、このオブジェクトを敬愛する人間であれば思わず肯かずにはいられないような、素晴らしく的確な表現が為されている。





「つねに新鮮だ」

そんな優雅な言葉では足りない。つねに異様で、つねに恐ろしく、つねに偉大で、つねに何かがおかしい。何度も訪れるたびに、慣れるどころか、ますます怖くなる。太陽の塔が視界に入ってくるまで待つことが、たまらなく不安になる。その不安が裏切られることはない。いざ見れば、きっと前回より大きな違和感があなたを襲うからだ。太陽の塔は、見るたびに大きくなるだろう。決して小さくはならないのである。





私は太陽の塔がある万博公園からわりと近いところに住んでいて、やはり太陽の塔が大好きなのだけれど、自分が塔に接する時に覚える違和感、何度仰ぎ見ても不可思議な思いに捉われるあのすっとぼけた顔の魅力が、その獏とした奇妙な感慨が、ここでかなり具体に描かれていて驚いた。



さて、最後に直接はこの作品に関係ないのかもしれないが、感じたこと。私はよく京都を訪れその辺を歩いていた際に、ふとしたことから「それっていかにも馬鹿な京大生がやりそうなことやなー」といった発言をして笑っていることが何度かあった。例えばそれは「大文字の"大"に独力で一画を加えて"犬文字焼き"を作ること」や「鴨川に等間隔で並んでいる幸せそうな男女の間に強引に割り込み、男女男女男女男女男男男男男女男女という"悲しみの不規則配列"を作って」みたり、「人知れぬ山中で非合法の茸を栽培」したり、「常軌を逸したモノを入れた闇鍋を食す」ことだったりするのだけれど、そうした時の自分の発言って、京大生という人種に対する一種の羨望の裏返しなんだろうなーと、この本を読んでいてふと思ったりした。自分に絶対的に無いモノ、それを手に入れることは出来ないから、それを持つ人を軽く笑いのネタにすることで自己を慰めるというか。そうした屈折した感情を持つ人ほど、この本を読んだら笑えるような気がしないでもない。とりあえず、すごく面白いですということは再度記しておきたい。ちなみに解説は本上まなみ。これまた違った意味で面白いと思うのだが。。





おまけ
1年半ほど前、トイカメラ片手に7,80枚
この太陽の塔を撮りまくったモノの内1つ。


『四畳半神話大系』の感想は→コチラ
『夜は短し歩けよ乙女』の感想は→コチラ
| かっつん | 21:07 | comments(4) | trackbacks(3) | pookmark |
Comment
太陽の塔、読まれたんですね。
俺も凄くツボで、これを読んで以来この人の小説は必ず買っています。
個人的には、作中最も感動したのは井戸の「皆が不幸になれば、僕は相対的に幸せになる」というセリフです。
今まで色んな小説を読んできましたが、こんな優れたセリフはなかなかないです。
Posted by: くさりたん |at: 2007/03/07 9:56 PM
同じくこの文体はかなりツボにはまりました。
小説自体は、読む人によってかなり捉え方が異なる
作品じゃないかなーと思います。
アマゾンのレビューとか見ても、
皆さん観点がバラバラで面白いです。。

この方の作品は『四畳半神話大系』しか知らないんで
また別の作品も読んでみたいなー。
Posted by: かっつん |at: 2007/03/08 9:02 PM
第24回ファンタジーノベル優秀賞はなんかイヤ。

太陽の塔はたしかデビュー作らしいのですが、
いまも面白いなと思う作家さんですね。ほんと、
森見さんは天才だと思います・・・。

最近、ファンタジー大賞の作品にはまってしまって、
そのきっかけになった作品が、関俊介さん。
ワーカー改め「絶対服従者」。
虫たちの気持ち悪いファンタジーで何とも・・・。
ちなみにあんまり作者情報がないのですが、妙に詳しいサイトが
見つかっちゃいました。
http://www.birthday-energy.co.jp/
結構ご苦労されたみたいですね。
妙に動き回るとダメそうなので、作家一筋で極められるのか
試されるそうです。
ちなみに上のサイトの索引を見たら、いろんな作家さんの記事にも行き着きました。
森見さんの記事もありました。
それらも結構興味深いかも。
Posted by: じゅん |at: 2013/01/31 3:02 PM
森見さんの近作は全然追えてないんですが、相変わらず我が道をマイペースで行ってらっしゃるんでしょうか。。久しぶりに読んでみようかな、と思いました。

関俊介さんのオススメもいただき、ありがとうございます。なかなか、気持ち悪そうな内容で。笑
最近は文学関係のアンテナも全然ダメで、こういう風に新しい作家さんを教えていただけると助かります。手元の積読がなくなったら、かならず読んでみようと思います!
Posted by: かっつん |at: 2013/01/31 10:48 PM








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森見登美彦著/太陽の塔/第15回日本ファンタジーノベル大賞受賞作◆主人公である「私(男子大学生)」の独白で物語はスタートする。「私」には3回生の時に水尾さんという恋人が出来て毎日がそれはそれは楽しいものだったが、あろうことか水尾さんは「私」を振った。・
おれには夢がある。 | at: 2008/01/15 1:48 AM
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管理者の承認待ちトラックバックです。
- | at: 2010/12/12 7:57 PM
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管理者の承認待ちトラックバックです。
- | at: 2011/07/26 10:29 AM

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