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『天然コケッコー』以来久々となる、待望の山下淳弘監督作品。作品解説には

反戦運動や全共闘運動が激しかった1969年から1972年という時代を背景に、理想に燃える記者が左翼思想の学生と出会い、奇妙なきずなで結ばれていく社会派エンターテインメント

とか書かれていたが、そこは山下監督、その視点は特殊な「時代」ではなく完全に「人」そのものに向かっていた。東大を卒業しジャーナリストになったものの、傍から見守ることしか出来なかった全共闘運動に対して一抹のセンチメンタルをひきずる記者/沢田を妻夫木聡が、一方で東大安田講堂が陥落し、学生運動が下火に向かっていく中、なおそこへ取り付き高らかな理想を口にする左翼学生を松山ケンイチが演じている。

しかし「全共闘」という特殊なフィルターを除いて見てみれば、ここに描かれているのは「英雄(ホンモノ)になりたい」人間と「ホンモノに憧れ、そこへ近づくことで自分も変わりたい」と考える人間の痛々しい(そして少なからず愛しい)関係という、言ってみれば「あー、いるよねぇこういう人」といういつの時代も変わらない人間模様なのだ。「革命」を語る口先こそ多少達者だが、一度会ったベテラン記者に「ありゃあニセモンだ」と看破されてしまうどうしようもなさが漂う学生運動家の梅山だが、しかしその上辺に惑わされ、付いていってしまう人間もまたおるんである。あいつとはもう関わるな、と釘を刺されつつ、近寄っていってしまう沢田の"一度信じたものを、信じていたい"ような心情は哀しいほどによく分かるが、ニセのカリスマと、それを信奉しあるいは巻き込まれた人間が転がる先の結末は、やはりロクでもないもんである。

それにしても、上っ面の、しょうもない我欲に巻き込まれて人が死んでしまう、というほどの「悲劇」は、これまでの作品でも登場しなかった重い衝撃をもっており、今作ではこの辺の扱いが作品に深い深い陰影を与えている。ラストシーンで沢田が言われた「生きてりゃいいっしょ」という言葉は、図らずも彼が記してしまった事実を考えると、やはり途轍もなく重い。生きることを奪われた人間と、それを奪ってしまった過去を背負っていく人間。願わくば、とめどなく溢れる涙が、本人や関係する人々の魂を洗い流してくれればと思わずにはいられない。そしてそう信じれるような美しい浄化作用が、ラストの涙にはあったようにも感じる。

今回、そのニセモンっぷりを遺憾なく画面から滲ませてみせた松山ケンイチや、山内圭哉、長塚圭史といった役者の怪演もさることながら(山下作品でお馴染みの山本浩司もちゃんと出ていた)、先の落涙のシーンをはじめ、妻夫木聡が醸しだすニュアンスにはたまらないものがあった。鑑賞後に思わず反芻してその余韻に浸ってしまうような、深みのある良作。奥田民生と真心ブラザーズがカヴァーするBob DylanのMy Back Pagesにもグッときました。









『どんてん生活』の感想は⇒コチラ
『松ヶ根乱射事件』の感想は⇒コチラ
『天然コケッコー』の感想は⇒コチラ

| かっつん | 23:51 | comments(0) | - | pookmark |
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