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ダンケルク


この人の作品は劇場で観たいと思わされる数少ない映画監督/クリストファー・ノーランの最新作。が、実はこの作品本来の規格で上映可能なシアターは全世界にも数えるほどしかないらしい。そして残念ながら日本国内には対応する映画館は存在しない。これについては後述。


『ダークナイト ライジング』と『インターステラー』が自分の中では最上級の映画体験として記憶されているノーラン作品。今作『ダンケルク』は、ノーラン監督としては初となる、史実に題材をとった戦争映画。1940年5月、ナチス・ドイツの電撃侵攻により、フランスの海岸線の街ダンケルクに追い詰められた連合軍兵士40万人の撤退と救出を描いた本作。


冒頭、完全に人の気配が絶え、降伏勧告のビラが舞い落ちるダンケルクの街頭を歩く英軍の歩兵。荒廃の中に重厚な美を感じさせる絵画のような情景(どこかダークナイトの世界観にも通ずる)に息を呑む。直後、大音響で破裂する銃声。前作『インターステラー』の音圧も凄まじかったが、今作における銃撃や、サイレンを鳴らしながら急降下してくる戦闘機の生々しい圧力は尋常でない。銃撃の雨の中を走り抜け、路地を抜け出るとそこには茫漠とした海岸線が広がっており、この死地からの救出を待つ連合軍の兵士たちが列を成している・・・。今作では当時コードネーム「ダイナモ作戦」と名付けられた英軍主体の軍事的撤退作戦を、陸海空の3つの異なる視点から描写する。ダンケルクで救出を待つ兵士たちの1週間、イギリス本土から兵士たちの救援に向かう商船の1日、そして英国が誇る戦闘機スピットファイアを駆る空軍パイロットの1時間。これらの時系列/空間を異にする視点が並行して展開され、ある一点へと向け集約されていく。


まず印象的だったのが、極端に台詞の少ないその展開。この「言葉を発しない」というのは作品中の一つの伏線として機能していたりもするのだが、ここからはそれ以上に「作品から物語性を排する」というノーラン監督の意図を見て取れるようにも思う。登場する兵士たちの背景が語られることは一切なく、そのほとんどは名前すら不明である。フィン・ホワイトヘッド演じる英国陸軍二等兵のトミーにしてみても、その名称は当時の英軍全体を呼称する一種のスラングだったそうで、つまりは多くの個性といったものがここでは剥ぎ取られている(全ての人物や事象を宗教絵画のように象徴的な意味を持たせた"存在"として描いている、と評している人もいた)。ちなみにノーラン監督の作品にはお馴染みのキリアン・マーフィーに至っては今作でもかなりのシーンで登場しているにも関わらず、クレジットには「Shivering Soldier(震える兵士)」としか書かれておらず、当然の如くその背景描写などは一切行われない。作中で最も「物語性」をもった人物と言えそうなのが、自らの商船でダンケルクの兵士たちを救出に向かう民間人ミスター・ドーソンだけど、この人にしたって、終盤にかけてその動機や背景が少しだけ匂わされる程度。


かつて『プライベートライアン』を初めて観た時、機銃になぎ倒され砲撃に肉体が引き千切られるそのあまりに凄まじく生々しい戦闘シーンに、それまで漠然と抱いていた「なんとなく自分だけは死なない」というような無意識の思い(願望)は消し飛んで「あぁ、こんなところに行ったら自分は万に一つも助からないな」という圧倒的な無力さを感じたのを覚えているけど、この『ダンケルク』からはまた違った角度から、そうした戦争における「個の無力さ」や無意味さみたいなものを感じさせられる。大局はおろか、敵の姿すらも見えないまま(作中でドイツ兵の姿は一瞬たりとも登場しない)差し迫った死に飲みこまれないことだけを祈りながら文字通り必死に逃げる続けるという構図は、今作の通奏低音のように全編を貫いているが、そこではもはや個人の意思や能力などほとんど何の意味もないように映る。


日常の世界であれば、一人の人間が生きているとき、そこには人それぞれに意思や個性があり、それぞれに家族や友人や多くの人たちとの関係の中でたくさんの「物語」を見ることができる。だけど、そうした個性や意思が何の意味も持たず、物語は消滅して「40万人の兵士たち」というたった一語に集約されてしまうのが戦争なんだと強く感じる。先のプライベートライアンでは"ライアン二等兵を救出する"という目的のためにトムハンクス演じるジョン・ミラー隊が動くという「物語」があった。そこには登場人物それぞれに個性があり、圧倒的な死の恐怖に覆われながらもそれぞれの行動や意思には意味があるように見えた。対してこの『ダンケルク』では、そこに意義や意味を持って行動している人間というのは限りなく少ないように映り、ただただ絶望的な「状況」だけが圧倒的な力でもって連続して降りかかってくる。その恐怖の入り混じった無力感や無意味さに戦争のリアルさを覚えた。


そんな物語性のない映画のいったい何が面白いのか?と疑問に思う向きもあるかもしれないが、そこはもう、クリストファー・ノーラン監督が描く画の力を観てほしい、としか言いようがない。冒頭のシーンを始め、英国空軍のパイロットの視点による海峡の景色、あるいは残照に染まるダンケルクの街を背景に滑空するスピットファイアの情景など、戦争映画にこう言ってしまうのも不謹慎な気もするけれど、そこにはやはり映像美と言える美しさが宿っていた。デジタル一色の時代に、アナログの手法にこだわり続けるノーラン監督は、本作の多くをIMAX70mmという超大判フィルムによって撮影している。そして冒頭に書いたように、通常の劇場ではこの規格で上映できず、なんと約40%も画面がカットされた状態で鑑賞することになる。40%って、、、(絶句)って感じなのだが、大阪のエキスポシティにある109シネマズのIMAX次世代レーザーであれば、画面のアスペクト比などはかなりオリジナルに近い状態で観られるとのこと。この映画は音響も含めて、劇場で観るのと自宅のテレビで観るのとでは感覚に大きな差が出てくるだろうから、予告編(字幕のない海外のもののほうが本編の雰囲気をよく伝えている)を見てちょっとでも気になった人はすぐさま劇場へ走ったほうがいい、と思う。自分も時間が許せばエキスポまでもう1回観に行きたいところ。

 

 

 

| かっつん | 21:02 | comments(0) | - | pookmark |
セカイノミカタ


10月16日日曜日。夜中に軽くパニくってしまった関係で非常に悪い寝起き。もう7時前だったのでとりあえず朝ごはんを食べようかと思ったが、やっぱり軽く走っておこうと思いジョグへ。疲れが溜まっているようで体感的にもあまり楽ではなく、後で見てもペースのわりに心拍が高かった。ただ、走り終わった後のほうが身体は楽になる感じ。

 

朝ごはんは久しぶりにワッフル。珍しくバターとベーキングパウダーも使って、軽くチョコレートのグレーズも施したカロリー高めな仕様。粉は強力粉と米粉のハーフ&ハーフ。

 

午前中は家のことをしたり、バタバタと。ファラフェルを揚げて、ホブス(中東のピタパン)を焼いて、たっぷりの野菜と一緒にサンドして昼ごはん。

 

チリスープを作ったりさつま芋のプリンを作るつもりがスイートポテト状になったりしつつ夕方にローラー。やっぱりこの時間帯は身体が動きやすく、お疲れ気味でも映画を観ながら200w近くが無理なく出せる感じ。理想としては、このぐらいの体感強度であと20wほど底上げできれば。自転車に関して言うと、どうしても過度なウェイトコントロールやそのための食事制限が伴うヒルクライムレースには以前ほど意欲が湧かなくなっている。チャンピオンクラスで戦えるぐらいのポテンシャルが自分にあるのなら話は別だが、メンタルやフィジカルに多大な犠牲を払って得られるのが年代別の表彰台、という結果だとすればなんだか割に合わない。

 


晩ごはんはパクチー餃子。奥さんの餃子を包む腕前が異常に上手くなっている件。挽き肉には紹興酒などで味つけ。ごま油でパリっと揚げていただきました。

 

この日観た映画。キレッキレの殺戮シーンがスタイリッシュでぶっ飛んでいて、でもそのやり口は相当に徹底していて実はグロい、という面で以前観た「キングスマン」を思い出させるところアリ(と思って調べてみたら原作者と監督が同じだった・・・)。

 

 

これ、観る人によって受け取る感覚がずいぶん違うんだろうなー。どうやら原作とは主たるキャラクターの設定がビミョーにしかし根底から改変されているようで、なるほどその根っこの視点をちょこっと変えて眺めてみると、この映画で発散され(て見え)る単純な「善悪」の構図やバイオレンスな爽快感はある意味で陰惨な狂気を孕んだモノへと転ずるところがある。ただこの映画では先の改変設定をもって序盤からうまーいこと「善悪」の構図でリーディングするため、画面から感じるのは「ヒットガール可愛い強えー!!」っという感覚に終始するわけ。でも、ところどころでなんともいえない異物感というか、爽快さの中に一瞬感じるザラりとした感覚みたいなものが、おそらくはビミョーに残された原作のエグい部分なのかなーと思った。

| かっつん | 21:36 | comments(0) | - | pookmark |
インターステラー


有休がとれたので朝から映画館へ。わたくしの大好きなノーラン監督の最新作。会長もオススメしていたのでこれは絶対に映画館で観たい!と思っていたんだけど、、、その大きな期待に見事、応えてくれる素晴らしい作品だった。壮大なビジュアルと、通奏低音のように流れる重厚な叙情性に呑み込まれた170分間。ともすれば広げた風呂敷の面積だけが大きくてその紋様はきわめて平凡、ともなりかねないストーリーなのに、なんだろう、この格調の高さすら感じさせる荘厳な世界観は。圧倒的な宇宙の描写が生み出す静寂。そしてその静寂の背後にあるのは虚無とは反対の美しい情感。この叙情的な世界観がたまらんかった。結構なハードSFモノでもあるよと聞いていたので、物理学の知識がゼロに等しい文系人間の自分が観たら「???」になるのでは、、、という心配もあったが、杞憂。ただ、ストーリーの肝でもある「時間」という概念にまつわる複線やそれらが収束する着地点に立ったときの感覚(感動といってもいいだろう)は、たぶんそうした物理学の知識が体感として伴っている人とそうでない人とではずいぶん違うだろうなとは思った。DVDでももう一度観ると思うけど、これはやっぱり劇場で観ることができて良かった。



帰ってから今日の晩ごはん用に大根と豚ばら肉の煮込みと五目きんぴらを作り、奥さんの朝ごはん用にグラノーラを焼いた。夕方近くになって雨が止んだのでジョギングへ。遅めにとった昼ゴハンがまだ消化しきれてない感じだったので無理のないペースでいったが、それでも体感的にはそれほど楽ではなかった。走り出して間もなく真っ暗になってしまったため、LAPは一度も確認しないまま15km。帰ってきたらやけに喉が渇いていたので、水分補給が不十分だったかもしれん。

| かっつん | 21:11 | comments(0) | - | pookmark |
マイ・バック・ページ@神戸国際松竹


『天然コケッコー』以来久々となる、待望の山下淳弘監督作品。作品解説には

反戦運動や全共闘運動が激しかった1969年から1972年という時代を背景に、理想に燃える記者が左翼思想の学生と出会い、奇妙なきずなで結ばれていく社会派エンターテインメント

とか書かれていたが、そこは山下監督、その視点は特殊な「時代」ではなく完全に「人」そのものに向かっていた。東大を卒業しジャーナリストになったものの、傍から見守ることしか出来なかった全共闘運動に対して一抹のセンチメンタルをひきずる記者/沢田を妻夫木聡が、一方で東大安田講堂が陥落し、学生運動が下火に向かっていく中、なおそこへ取り付き高らかな理想を口にする左翼学生を松山ケンイチが演じている。

しかし「全共闘」という特殊なフィルターを除いて見てみれば、ここに描かれているのは「英雄(ホンモノ)になりたい」人間と「ホンモノに憧れ、そこへ近づくことで自分も変わりたい」と考える人間の痛々しい(そして少なからず愛しい)関係という、言ってみれば「あー、いるよねぇこういう人」といういつの時代も変わらない人間模様なのだ。「革命」を語る口先こそ多少達者だが、一度会ったベテラン記者に「ありゃあニセモンだ」と看破されてしまうどうしようもなさが漂う学生運動家の梅山だが、しかしその上辺に惑わされ、付いていってしまう人間もまたおるんである。あいつとはもう関わるな、と釘を刺されつつ、近寄っていってしまう沢田の"一度信じたものを、信じていたい"ような心情は哀しいほどによく分かるが、ニセのカリスマと、それを信奉しあるいは巻き込まれた人間が転がる先の結末は、やはりロクでもないもんである。

それにしても、上っ面の、しょうもない我欲に巻き込まれて人が死んでしまう、というほどの「悲劇」は、これまでの作品でも登場しなかった重い衝撃をもっており、今作ではこの辺の扱いが作品に深い深い陰影を与えている。ラストシーンで沢田が言われた「生きてりゃいいっしょ」という言葉は、図らずも彼が記してしまった事実を考えると、やはり途轍もなく重い。生きることを奪われた人間と、それを奪ってしまった過去を背負っていく人間。願わくば、とめどなく溢れる涙が、本人や関係する人々の魂を洗い流してくれればと思わずにはいられない。そしてそう信じれるような美しい浄化作用が、ラストの涙にはあったようにも感じる。

今回、そのニセモンっぷりを遺憾なく画面から滲ませてみせた松山ケンイチや、山内圭哉、長塚圭史といった役者の怪演もさることながら(山下作品でお馴染みの山本浩司もちゃんと出ていた)、先の落涙のシーンをはじめ、妻夫木聡が醸しだすニュアンスにはたまらないものがあった。鑑賞後に思わず反芻してその余韻に浸ってしまうような、深みのある良作。奥田民生と真心ブラザーズがカヴァーするBob DylanのMy Back Pagesにもグッときました。









『どんてん生活』の感想は⇒コチラ
『松ヶ根乱射事件』の感想は⇒コチラ
『天然コケッコー』の感想は⇒コチラ

| かっつん | 23:51 | comments(0) | - | pookmark |
トゥルー・グリット@OSシネマズミント神戸


1969年の西部劇映画『勇気ある追跡』のリメイク版。個人的には『ファーゴ』や『ビッグ・リボウスキ』が印象に残っているジョエル&イーサン・コーエン兄弟が監督・製作・脚本を手がける。





その粗筋はとてもシンプル。父親を撃ち殺された14歳の少女/マティ・ロスが、犯人への復讐を果たすべく、自ら雇った保安官とともにホシを追跡するという話。1969年の『勇気ある追跡』では、雇われ保安官をジョン・ウェインが演じていることもあって主役は完全にそちらだったんだろうけど、今作では一貫して14歳の少女/マティ・ロスを中心に描写されている。

さすがにセットも多いとはいえ、アメリカという国の広大さを痛感させられる原風景の描写や、その大地を疾駆する駿馬の美しいプロモーション、父への仇討ちへ真っ直ぐに突き進む少女の健気さ、そして一見グダグダなようでいて、やるときゃやる!ってな感じの保安官の格好良さまで、まさに西部劇の美学とでもいうべきエッセンスが綺麗に散りばめられている。テンポの良い会話と場面転換に惹き込まれ、ふいに勃発する銃撃戦に息を呑み、そして訪れるクライマックスにハラハラとさせられる良作。ある意味ベタベタだけど、その要素を綺麗に消化し流れるように展開してみせる監督の巧さが、役者陣の演技に劣らず光って感じられた。


| かっつん | 22:09 | comments(0) | - | pookmark |
最近観た映画


天国の口、終わりの楽園
2001年公開のメキシコ映画。ガエル・ガルシア・ベルナル、ディエゴ・ルナ主演。若さという刹那の輝きと痛いような感傷がメキシコの美しい風景と交じり合うロードムービー。二人の若く美しい(しかしそのアホさ加減はほとんど小学生並)青年と、一人の人妻とが辿った数日間の軌跡。口から出まかせに言った「天国の口」という美しいビーチに向かう旅。青春を美化するわけでなく、しかしその無二の瞬間を痛感させる情景、出来事が愛しい。その行動原理が些かエキセントリックにも映るスペイン人女性のルイサだが、後日譚のような形で明かされるその背景が伴うことで、一気にその存在感が増してくる。決して甘くない余韻も含め、非常な心地よさを湛えた良作だった。





KILL BILL
何故かいま、キル・ビル。暗殺集団に命を狙われアタマに弾丸を喰らったものの生き延びた女(ユマ・サーマン)が、自分をリンチしたヤツラに復讐してまわるというお話。横溢するヴァイオレンス、血潮の洗礼を受ける異文化コミュニケーション。





チェ・ゲバラ&カストロ
キューバ革命へ邁進するフィデロ・カストロと、その最中でのエルネスト・チェ・ゲバラとの出会い、共闘のサマが描かれる。武装蜂起→失敗→投獄→亡命→再びの武装蜂起→ゲリラ戦→革命へという流れが矢継ぎ早に展開し、その速さの意味で、人間的な部分への感情移入の余地は少ない。初めに「若干の脚色はあるものの、本作中の出来事・事件は調査・確認された史実に忠実に再現されている」旨も出てくるが、各人物の人間的な魅力を描く、というよりは、革命の足跡を記すニュアンスのほうが強いように感じた。有名なゲバラ最後の写真(実際は目を見開いていたようだが)にしてみても、その再現の度合いは細部までかなり忠実。よく出来ているだけに、映画作品としては全体にもう少しヴォリュームが欲しいなと感じた。





ドット・ジ・アイ
ガエル・ガルシア・ベルナル主演のエロティック(?)サスペンス(?)。若き資産家の男に見初められ、彼との婚約を目前に控えた女性。美しいが裕福ではなく、むしろ貧しく粗野な言動が目に付く女は、その過去に癒えぬ傷を負っていることも示唆される。そこへ接近するのがガエル。執拗に彼女に付きまとうその背後に、これまた何かあるなと思わせながら、明かされず、作品はクライマックスの破調へと進む。全90分のうち3分の2は駄作。ラスト30分の「仕掛け」で若干スッキリはするものの、そこへ至る積み重ねの粗雑さはちょっと、、、主演の が、もっと超絶に美しいが、あるいは徹底してビッチだったら作品の印象も変わったかも。その辺の中途半端な演技演出展開が全体的に×でした。





百万円と苦虫女
08年公開の邦画。SAVVYちっくなジャケットに反して(?)の良作。バイト先の同僚にルームシェアを持ちかけられ、契約が決まったと思ったらその同僚の彼氏が一緒に住む前提だったということを知らされ、かと思ったら引越し当日にはその彼氏のみが居て「あいつとは別れた。だからあいつは来ねぇよ」とぶっきらぼうに言われちまい、あげく自分が拾ってきた子猫をその男が勝手に捨ててしまい、そのことに腹をたて男の荷物をもれなくうち捨ててしまったところ訴えられ罰金刑を喰らって「前科持ち」になってしまった佐藤鈴子(蒼井優)が、実家にも居りずらくなり、だーれも自分を知らない土地に移り住んではバイトをし、とりあえず百万円たまったらまた別の場所へと引っ越す、というお話。とりあえず、配役の妙が活きている。最初に移った海の家の主人(斎藤歩)、続く山間の村でのピエール瀧をはじめとする桃農家の皆さん、そして地方都市のホームセンター園芸コーナーでの先輩役(森山未来)と、配役が絶妙にウマイ。なによりも、これは蒼井優じゃなきゃ無理だろ、というぐらいに蒼井優がイイ。苦虫女の名のとおり「困った、、、という顔で笑う」蒼井優の引力が◎。服装ともども真似して痛い目に合いそうな女子多数が出る(出た)だろう、魅力的な存在感が光っておりました。

 

| かっつん | 23:43 | comments(0) | - | pookmark |
最近観た映画

ダークナイト
2008年の米・英共作映画。前作の『バットマン・ビギンズ』は未視聴だが、それでも存分に楽しめた。完全にイカれたジョーカーのヤヴァさコワさが圧巻。次々と仕掛けられる破壊工作のほぼ全てに、人間の心の弱さや醜さをくすぐる要素が埋め込まれているがために、引き起こされる暴力、爆破、崩壊のいちいちが途轍もなくヘヴィに効いてくるという。ラストにかけて「人間の本質は必ずしも悪でない」と証明するような展開も織り込まれてはいるものの、全体を深々と覆う気配は終始シリアスで、ダークな余韻に満ちていた。その重厚な感触に痺れまくった2時間半。むちゃくちゃ面白かった。






ララピポ
奥田英朗原作/宮野雅之監督の2009年作。世の中にゃごまんと人間がおりまして、どれだけクソったれな状況でもそれぞれに生きている、ドブみたいな境遇であれそれぞれに生きている、そんな小さな光を描こうとしている、のか、、、だけどもとにかく終始において撮り込みの浅さばかりが印象的で、まったく惹かれるところなく終わってしまった。






ヒトラー〜最後の12日間〜
2004年公開の独・墺・伊共作映画。邦題のとおり、ヒトラー自決の直前が描かれる。自らの「最後」を目前に、袋小路の戦況に癇癪を起し、完全に憔悴しきったヒトラーの姿がとにかく生々しい。ソ連軍が侵攻し、地獄と化したベルリンの様子もさることながら、映画のほぼ全編を占めるのはヒトラーをはじめ、ナチスドイツの将校らが身を潜める地下要塞であり、地上の阿鼻叫喚とはまるで隔絶されて見えるその青白く静謐な空間が印象的。自決が行われていくまさにその瞬間まで、その静かに発狂していく空間のディティールは変わらず、そのある種異様な雰囲気のリアリティーには特筆すべきものがあると思った。






イングロリアス・バスターズ
タランティーノ監督による2009年アメリカ映画。ブラピ演じるアルド・レイン中尉が率いるアメリカ軍秘密特殊部隊"名誉なき野郎ども"が、ナチスドイツを血祭りにあげる、という映画、、、だという前知識で見ていたらどっこい、ある意味別方向のネチっこさがある作品で、それがとんでもなく面白かった。ブラピのややオーバーアクション気味な胡散臭い存在感もさることながら、この作品のある意味主役は、クリストフ・ヴァルツ演じるSS将校であり"ユダヤ・ハンター"のランダ大佐ではなかろうか。冒頭、フランス片田舎の農夫宅に現れて、主人をネチネチと追い詰めていく彼の話法がとんでもない緊張感を生んでいる。ぜーんぜん関係ない話をしてるようでいて、その実相手をどんどんと追い詰めていく、不用意な一言が即破滅に繋がっていくような緊張感がタマラン。対するバスターズによる血祭り作戦はほとほとカオティックなヴァイオレンスに満ちており、アタマの皮は剥ぐわ野球のバットで殴り殺すわで野蛮きわまりない。つまりは叫び出したくなるような緊張感と、そのピークが破裂した瞬間に訪れるヴァイオレンスの苛烈さ、そのバランスというか構成が素晴らしくデキていて、興奮する。戦時下という時代がハマったのか、タランティーノ映画がこんなに面白いと思ったことはない。最後に炸裂する大爆発、その奇的な美意識を全開に感じる画面が圧巻でした。傑作。






戦場でワルツを
2008年製作、イスラエルのアニメーション映画。過去に自らが兵士として従軍した経験を持つ監督アリ・フォルマンによるドキュメンタリー。レバノン内戦において欠落した「記憶」を探るため、当時の戦友らを訪ねるイスラエル兵の姿が描かれる。茫洋としながらふいに覚醒する戦場の記憶、その白昼夢めいた感覚が、アニメーションという媒体で非常にうまく表されていた。と同時にその感覚は、誰かが誰かを告発する、という明確な図式を曖昧なものにしているようにも見えた。
フォルマンの記憶はやがて、その内戦の中で行われた「サブラ・シャティーラの虐殺」へと迫っていくが、ともすれば無責任とも見える(あくまで虐殺を実行したのはキリスト教系右派政党ファランヘ党だと言っているようにも見える)その無感覚さが、逆に内戦の現状を見せているようにも感じた。フォルマンの両親はナチスのホロコーストを生き延びたポーランド人であるが、作中で「サブラ・シャティーラ虐殺」を伝える記者が、生き延びた人々の表情をそのホロコーストに例える場面があり、そのあたりに一種のメッセージ性は感じた。しかし中東戦争についてほとんど何も知らないに等しい状態で観ると、あからさまなメッセージ性がない(ように見える)だけに、道徳的な善悪を考える以上の思考は停止してしまっていたとも思う。


| かっつん | 21:55 | comments(2) | - | pookmark |
ルネ・ラルー コンプリートDVD-BOX

買ってしまいましたの。ルネラルーを知ったのはわりと最近。2008年12月、京都みなみ会館でおこなわれた『ヨーロッパ・ ファンタスティック・ナイト』でのこと。午前5時っちゅう時間もあってかそこで観た『ファンタスティックプラネット』はほんとーに異様な魅力を放っていた。このBOX SETは本当の意味ではCOMPLETEじゃないんだけど、手元に置いて愛玩するには十二分のカオスが詰まっとりますよ。






 
| かっつん | 22:40 | comments(0) | - | pookmark |
最近観た映画
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パンズ・ラビリンス
2006年公開のメキシコ・スペイン・アメリカ合作映画。監督は『ヘルボーイ』などで知られるギレルモ・デル・トロ。日本版予告編は「一人の女の子が体験するちょっぴりスリリングなファンタジー」といった、それこそ不思議の国のアリスみたいなイメージで作られてたが、実際は想像以上にグロテスク、かつダークなテイストに満ちている。

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緑がかった漆黒の中を這う深紅の血、というオープニングが刻むイメージそのままの、凄惨なダーク・ファンタジーという形容がピタリとはまる作品。フランコ独裁政権下のスペインの、暴力と憎悪が蔓延り横溢する世界で、その酷薄な現実から逃れるように不思議の世界へと入り込んでゆく少女・オフェリア。だけどもそこで待ち受ける地下世界もまた、彼女を優しく受け入れるのではなくむしろ、強烈な異物感でもって圧倒する。

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自らの命すら代償に、戦い、様々な選択を行っていく少女の姿はある種のビルドゥングスロマンとも言えようが、どこまでも救いのない現実と、比例するように彼女を追い込んでいく幻想世界での酷薄な「試練」の数々は見ていてあまりにも、辛い。それだけに、少女に用意されていたラストは「ハッピーエンド」と見たいのだが、、、オスカーで撮影、美術、メイクアップの三冠を受賞したヴィジュアルともども、非常によく出来た作品だった。







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紀元前1万年
2008年公開作。ローランド・エメリッヒ監督だしそれなりに凄い映像が見れるだろうという期待を見事に裏切る駄作。先にキングコングで驚嘆した映像技術と比べると、それこそタイトル同様に一挙退化したようなお粗末なヴィジュアルエフェクト。もっと動物がワーッと出る圧巻のスペクタクルを期待していた身としては、古代エジプト王朝(みたいなの)が絡んでくるストーリーにしてもただただお粗末さばかりが目についてしまった。






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ぐるりのこと。
梨木香歩の原作を、橋口亮輔の監督により映画化した2008年公開作。

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本当にどこにでもありうる、一組の夫婦を追った物語。結婚し、子を授かり、しかし早くにその命を失ってしまった夫婦の喪失と再生が、十年という歳月を通して丁寧に描かれている。一組の男女が、単なる男と女ではなく「夫婦」として生活を営むことのかけがえのなさが、丁寧に拾われ繋がれていく画面を通じて静かに降り積もり、やわらかに心を満たしていく。正直リリー・フランキーってこれまでは「おでんくん」とか書いてる変なオッサン、ぐらいに思ってたんだが、この作品での存在感は絶品。同じく木村多江がこんなにも美しい光に包まれて見えたことはこれまでにない。場面によってはコントとしか思えないユニークなキャスト陣だが、それが妙な毒っ気ではなく、しっかりとした存在感で画面を支える形になっているところに、この監督の並でないセンスを感じたりもした。ちょい泣きかけた。すごく良かった。







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パコと魔法の絵本


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中島哲也監督による08年公開作。この監督の「嫌われ松子の一生」は観てないんだが、かなり確固たる作風をもった人のよう。とある施設を舞台に、事故のためわずか1日しかその記憶を留めておけない女の子・パコ、「お前が私を知ってるってだけで腹が立つ!」ってのが口癖の強烈な鬚じじいの大貫、この2人を中心に回り回る物語。先の『ぐるりのこと。』とは対照的に、役者の個性(毒っ気)全開で、押しの一手で突き進む展開に当初はアイタタな感覚がかなり強い。が、CGという形で凄まじい勢いで差し込まれる"魔法の絵本"の世界が次第に作用を始め、当初のドぎつい色彩を強引にネジ伏せる勢いで、中盤からラストに向けては一気に引き込まれていった。聴けばこの監督の作品って、どれもこんな感じで惹き込まれていく感じなんだとか。見終わったあとは素直に、胸があったかい気分に包まれていた。良い映画。

| かっつん | 23:01 | comments(0) | - | pookmark |
アリス・イン・ワンダーランド@109シネマズHAT神戸


菅井汲、中山岩太の展示を鑑賞後、レイトショーで観てきた。ティム・バートン監督による、不思議の国のアリスの後日譚とでもいうべきストーリー。この奇天烈な、それでいて不思議な濃密さで調和された世界を描くのに、この監督ほどの適任はいなそう!という期待を裏切らない内容。19歳に成人したアリスが放つ少女性、内面に携えた深い沈鬱と密接にリンクする"キチガイ"道化の帽子屋(ジョニー・デップ)を筆頭に、おそらく「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」本来のファンを納得させるに十分だろう作りこまれた世界/キャラクター設定が魅力的。

おそらく〜だろうと書いたのは、自分がその辺をよく知らないからで、そのためか作品の細かな妙までは眼がいかず、結果的に108分という上映時間はやや短いように感じた。ちなみに今回の劇場では3D上映のみだったため、期せずこれを初体験することになったんだが、表立って感じたのは「浮き上がった字幕は見難い」とか「メガネが重い」「画面が暗い」といったようなことで、肝心の効果や視覚的な恩恵についての驚きみたいなものは薄かった。

| かっつん | 23:18 | comments(0) | - | pookmark |

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