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つながれた世界はより良くなったのか?

8月11日日曜日。眠いが暑くなる前に終わらせたいので、5時半に起きてジョグへ。ふくらはぎに少し張りがあるけど、RINCONのクッションのおかげで先週よりも筋疲労は少ない、というかほとんど無い。しかし身体は重くてキロ4半も切れなさそう。とりあえず無理なき範囲で流すだけで17.5km走って終了。ave.4:37/kmで平均心拍は134bpmだった。

 

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朝食は大量のキャベツを放り込んだ味噌汁のみ。ランチはイベリコ豚のセクレト(カルビ)を低温調理したステーキで。カタルーニャ料理のトリンシャット風なのを作って、その上に肉を乗せ、周りにラタトゥイユをソース風に添えて。手前味噌だけど、かなり旨い。イベリコちゃんの脂はとっても甘い。

 


この2週間ほどハマって観ていたHBO作品の『シリコンバレー』。全50話ほどあったけど、最初から最後までめちゃくちゃ面白かった。IT系スタートアップやVCの生態とでも言えそうな実態をうまいことデフォルメして展開される、馬鹿馬鹿しくも非常にリアリティある熱量が充満する群像劇。基本的に善人はおらず、一般的な観点からすれば変人と異常者だらけの非常に特殊な世界。一難去ってまた一難去ってまた一難、、、という感じで普通のドラマのようにまったくすんなり落ち着かないシナリオアが秀逸過ぎる。これほどクオリティが高いドラマって初めて観た。ちなみに2019年中にファイナルシーズンが放送されるらしい。

 


そしてこちらもシリコンバレー絡みとも言えるけど、対照的に全くもって笑えない、TECHジャイアント(GAFA)全盛の現代の闇を描いたドキュメンタリー。2016年のアメリカ大統領選において、選挙結果に影響を与えかねないフェイクニュースが大量に発信されていたことは有名だけど、今作ではfacebookから得た大量のユーザーデータに基づき、実際に一つの企業(Cambridge Analytica:CA)が「プロジェクト・アラモ」と銘打ったトランプ派の選挙キャンペーン中で行っていた衝撃的な人心操作の内容が暴露されている。またCA社は、世界に衝撃を与えたBREXITに関してもLEAVEEUプロジェクトに加担していたとされており、その手法の恐るべき有効性が関係者の口から語られている。


自分はこれまでネット上でのユーザーデータの利用行為や情報流出といったものには、ある程度は仕方がないものという気持ちもあってあまり深く考えたことがなかった。もちろん、クレジットカード番号や暗証番号、電話番号といった直接的に金銭・プライヴァシーの危険が生じる情報が流出したと聞けば不安にもなるし怒るだろうけど、そうではない、例えば自分がネット上で行ったWeb閲覧や検索履歴、アンケートへの回答、あるいはこのblogやSNSで書いてきた文章などのデータは、それがどこでどう使われているかまともに考えたことが無かったと思う。が、この作品の中ではそうしたユーザーのビッグデータがあれば、行動心理学に基づいた各個人のプロファイルを作成し、ターゲティング広告やありとあらゆる情報を浴びせかけることによってその人の行動を操作できるのだということが関係者の口から繰り返し語られる。


作中で「テック企業って、ある程度まではパーカーを着た善人が世界をより良くするため頑張ってるって感じだけど、ある規模を超えるとまったく油断のならない不気味な存在になるよね」みたいな会話があるけど、今や絶大な支配力を持つGAFAを始めとする大企業にあらゆるデータを握られているという危険性が、この作品を見ると冗談じゃなく怖いと感じる。そして認めたくはないけど、そのデータを「取り戻す」ことは既にして不可能な地点にまで来てしまっているということも。。自分は大丈夫、そんな簡単に洗脳されるほど愚かじゃないから、と思いたい気持ち半分、しかし結局は自分の思考や決断は普段取捨選択する情報の積み重ねで形成されていることを考えると、自分で思考し自分で決断していると思っているその考えや行動のベースの部分が、どこの誰とも分からない者によって都合の良いように「操作」されているのだとすれば、、、と考えると、これほど恐ろしく絶望的なことはないだろう。今のところこうした脅威を取り除く手段は無いに等しいけれど、インターネットによって「つながれた」世界の現状を今一度考えるうえで、ぜひ見ておいたほうが良い作品だと思う。そう言えば先に書いた「シリコンバレー」では、主人公のリチャード・ヘンドリクスが構築を目指そうとするのは、一部の巨大企業が牛耳る既存のプラットフォームに変わる、ニュー・インターネット=分散型のインターネットシステム≒ブロックチェーンであった。

 

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夕方にローラー45min。晩ゴハンは昨日ラクサを作る際に調合したベトナムカレーパウダーを使って、スパイシー唐揚げ。ビールを飲んだけど、やっぱり今年はビールがあまり美味しく感じられない。飲んでる途中で温くなってしまうのが問題なのかしらん。食後に奥さんとウォーキング。川沿いでも涼しさを感じることがほとんどないぐらいに蒸し暑かった。

| かっつん | 20:39 | comments(0) | - | pookmark |
レーダーとにらめっこする日々

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6月30日日曜日。西日本では災害レベルの大雨に警戒を、と言われていたので、今朝は走れなくてもOKと普段より長めに寝て、6時頃に起きた。いきなり豪雨になりそうな空模様だけど、レーダーを見るとまだしばらくはヤバそうな雨雲がかからなさそうだったので、とりあえず7~8kmだけ流そうと日焼け止めも塗らずノーアップでスタートした。

 

スピードは出ないけど、全身が異常にダルいということもなく、淡々と距離を刻む。空模様を見ながらすこーしずつ距離を延ばし、トータル14.1kmまで。ave.4:40/kmでかなり遅いけど、今日はまぁ、走れただけで満足。今朝も朝食は味噌汁で済ませ、雨脚が強まってきた中をスーパーへ。風も強く、傘をさしていても足元はビショビショに。来週の週間予報ではずっと傘マークが並んでいて、毎朝こんな雨の中を仕事に行くのはイヤやな〜とうんざりした気分になる。

 

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そんなんだし、ランチは好きなものを食べて美味しいワインを飲みたいなと、今週もまたピザを焼く。生地を捏ねる時間は15分ほど、発酵40分ほどでオーブン予熱を開始し、20分ほどで260℃まで上げる。トマト缶と玉ねぎみじん切り1/2個分を使えば、ピザ2枚を焼くのにちょうど良い分量のピザソースが自作できるけど、この一手間で相当にフレッシュな美味さが増すのでオススメ。

 

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1枚はシンプルにブッラータと手作りソースを合わせるだけ。もう1枚はゴルゴンゾーラ、レッドチェダー、カマンベール、マリボーにゴーダ、サムソーなどチーズを盛り合わせたもの。焼き立てのピザは梅雨時の暗い空を忘れるぐらいに美味しくて、かなりハッピーな気持ちになる。最近は白ワインばかり飲んでたけど、今日はプーリア州のネオ・ディ・トロイアという品種を使った赤を開けた。これも1,500円前後で買える安いワインだけど、フルーティな香りとジューシーな飲み口で満足感がありつつ、タンニンはスッキリとしていて後味の重さもなくかなり飲みやすくて美味しい。一度の食事で赤を一本近く開けてしまうことってあまり無いんだけど、これはスルスル飲めてしまったな。昨日の白ともども、リピしたい1本。

 

 


アメリカン・クライム・ストーリー/ヴェルサーチ暗殺


今週少しずつ観進めていた映画。全9話で8時間ほど。1997年4月から7月にかけて、世界的デザイナーのジャンニ・ヴェルサーチを含む5名を殺害した連続殺人犯アンドリュー・クナナンと、その被害者たちを描いた作品。ともすればそのセンセーショナルな表層にのみスポットを当ててしまいそうな事件だけど、本作ではそれぞれの人物の境遇や時代背景を、ある明確なメッセージ性をもって完璧に描いている。具体的に言うとそれは、当時のゲイなど性的マイノリティが置かれていた非常に差別的な状況であり、そしてそんな厳しい社会においても身近な人たちからの理解(あるいは信頼や愛情)を支えに、自らの努力(や信念に基づいた選択)によって生き、社会的にも成功を収めた人たち(クナナンに殺害された5人)の姿であり、そして一切の努力をすることなく「特別な人生」を渇望し、ただただその願望に塗れた虚飾で自分を偽り続けた連続殺人鬼(クナナン)のおぞましい姿との対比である。各話ごとに「このドラマは事実に基づいたフィクションです。セリフはドラマのために創作されたものです」という断りが入るとおり、映画全体で作者側の上述したような強いメッセージ性が感じられた。クナナンが最初の殺人を犯してからヴェルサーチ殺害に至るその日まで、被害者がゲイであることへの無意識下の偏見から捜査が遅れ、結果的に何度かあったクナナン逮捕の機会を逸してしまっている描写が、なんとも強烈でやり切れない気分になった。


アンドリュー・クナナンを演じたダレン・クリスは、日本だと「glee/グリー」の俳優さんとして有名だけど、この人を始め、出演者全員の演技力が半端なく高い。中でも、2番目の犠牲者となったデヴィッド・マドソン役を演じたコーディ・ファーンの端正なルックスとその内面の動きを絶妙に浮かばせる演技が印象的。ちなみに彼が父親に自分がゲイであることをカミングアウトするシーンでお父さんの答えが

 

「考えていいか?間違えたくない」

「気にならないと言いたいがそれは無理だ」

「だが自分の人生よりお前を大事に思っている」

 

というとても胸を打つもので。こんな風に言える父親って、なかなかいないだろうな。


それからジャンニ・ヴェルサーチの妹のドナテラ役を演じたペネロペ・クルス。実は途中までこれがペネロペだと気づかず、この人の眼差しはなんかペネロペっぽい、、、と思って観ていたんだけど、本作におけるキーパーソンの一人としてイタリア訛りの英語を話す彼女の姿は、もう完全にドナテラ・ヴェルサーチその人にしか見えなくなっていた。殺害現場でもあり、今もマイアミに現存するヴェルサーチ邸で実際に撮影された多くのシーンを含め、映像美的な観点からもかなり見応えがあり、目が離せなかった。あまりに全てのレベルが高すぎて、これを観てしまうとほとんどのドラマがお遊戯に見えてしまいそうなぐらい、非常に濃密な作品だった。このアメリカン・クライム・ストーリーズの1作目ではO.Jシンプソン事件を題材にしており、こちらも非常に高い評価を受けている作品だそうで、これもまた時間を見つけて視聴したい。

 


夕方にローラー。今月のランは自己最長距離の478km。バイクと合わせて月間1000kmを超えたのはもしかしたら初めてかもしれない。

 

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晩ゴハンはピーナッツバターやココナッツミルク、ナンプラーなどでマリネしておいた鶏むね肉を使ってインドネシアの焼き鳥=サテ風に。あとは昨日できなかった鱈を使ったフリット。めちゃビールが合いそうな感じだったけど、昼にようさん飲んだのもあって水だけにしといた。

| かっつん | 20:38 | comments(0) | - | pookmark |
Bohemian Rhapsody

12月6日木曜日。今年はまだ気温が高い毎日が続いてるからマシだけど、日の長かった夏場と比べるとどうしても朝起きるのが辛い時期。毎朝目覚ましが鳴って起きるたびに「今日はトレーニングをやめて二度寝したい」欲と葛藤する。とりあえず今朝は半袖+アームウォーマーで六甲アイランドへ。まだ逆走ルートに不慣れなのもあってか、これまで何百回となく走ってきたこの15kmコースが長く辛く感じられる。一昨日とまったく同じave.4:21/kmでフィニッシュ。

 

今日は仕事終わりに奥さんと待ち合わせて、レイトショーで遅ればせながらの『ボヘミアン・ラプソディ』を鑑賞。最近の映画にしては異例ともいえる右肩上がりのヒットで興行的に成功を収めている作品で、たしかに平日のレイトにも関わらず会場は6~7割方埋まっていた。冒頭お馴染み20世紀フォックスのロゴと共にいつものファンファーレが鳴るのかと思ったら、ギュインギュインのエレキギターが唸りをあげそのメロディを奏でる演出にニンマリ。あっという間の2時間15分ではあったけど、これだけ長めの上映時間をもってしても、QUEENの楽曲そしてライブが生み出す圧倒的な昂揚感と、フレディ・マーキュリーという一人の人間の人生を描き切るにはまったく時間が足りていなかったように感じた。


20世紀最大のライブイベントとも言われる1985年『LVE AID』のステージへと向かうフレディの背中を映し出したオープニングから、ラストではその21分間のステージパフォーマンスを熱狂の渦巻くウェンブリー・スタジアムの大観衆まで含めて完全に再現してみせる本作において、時代を超えて多くの人を魅了し続けるQUEENのそのサウンドの圧倒的な魅力・昂揚感を体感させるという点では満点級に近い出来だと思う。一方で先に書いたように、フレディ・マーキュリーという不世出の天才の少なからぬコンプレックスに塗れた生い立ちから才能に裏打ちされた強烈なアンビション、世界的な成功とその背後につきまとう苦悩、孤独、あるいは救済といったところを、バンドメンバーはもちろん、彼を取り巻く多くの人たちとの関係をもって描き出すには明らかに時間が足りていなかった。なにも時系列に沿ってダラダラと展開するのが良いわけではないし、これだけの物量を詰め込もうと思ったらこのぐらいアップテンポでぶっ飛ばさないと全然時間が足りんのだろうとは思う。であればこそ、そうした群像劇でもって作品に感動的な「物語性」を持たせようとするのはちょっと欲張りすぎだと思うし、最愛の人や家族、バンドとの一度は壊れてしまった関係がラストでいきなり全部元通りになって良かったねという描き方はかなり唐突な感じがあり、説得力が無いように感じた。たぶんこの作品では、実際にはあっただろう様々な暗部(当時のエイズに対する酷い偏見や差別も含めて)にはあえて踏み込まないようにしたんだろう。なんというか、人間の精神や関係が壊れる時ってこんなに綺麗じゃないよね、という。

 

そういう意味ではOASISのデビューからの軌跡を追ったドキュメンタリー映画『SUPERSONIC』を観ると、いやほんと、この人らこんな滅茶苦茶な状態でよくぞバンドとして続いてたな(笑)と改めて思うわけでもあるけど。


フレディ・マーキュリーという人間の内面や葛藤、そして性的な嗜好といったものが作品に安易な物語性を付加するための「オマケ」のように見えてしまう構成が個人的には少し残念ではあったけど、QUEENのサウンドの、そしてそのライブでの圧倒的な興奮と素晴らしさを改めてこの現代にリボーンさせてみせる点に主軸をおいたことが、世代を超えてこれだけこの作品が受け入れられる結果に繋がっているのかも、とも思った。とにかくもこの作品は、絶対に映画館の大スクリーンと音響で観たほうがいい。

 

12月7日金曜日。週末に追い込んだトレーニングをせねばならんので、、、と自分に言い訳をして二度寝しかけたけど、かろうじて起き出してジョグへ。川沿いを8km弱ほど流して終了。今日から神戸ルミナリエが始まるので、その人混みに巻き込まれる前に急いで帰宅。

 

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晩ごはんはパスタ。

| かっつん | 20:53 | comments(0) | - | pookmark |
夜の獣たち

9月24日月曜日。めちゃくちゃ心配した奥さんの症状もかなり回復して一安心。今朝も昨年のログに倣って15kmのジョグへ。昨年がave.4:32/kmで走っているので、そのあたりをターゲットにかなりお気楽なジョグ。

 

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これまで5回参加してきて、ずっと好転に恵まれてきた村岡だけど、今年はなんとなく雨になりそうな予感があった。暑くなるよりは雨が降って気温が下がるほうが走るほうとしては嬉しいんだけど、ここに来てやっぱりというか、自然災害が多発する今夏からすれば当然のように台風接近の予報が出始めた。今のところ、まだ予想進路図に不確定な部分が大きいのでよく分からんが、余計な心配の種が増えたことに違いはないな。「もうマジでやめてほしい」、今年は何度この言葉を思ったことか。。

 

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今週末はお酒を飲まないと決めていたので、これを作ったらまた飲みたくなっちゃって辛いだろうなーと思いつつ、ラム肉サーロインの塊を焼いてステーキに。付け合せはカリフラワーのサブジと、パプリカのマリネ。運動量を減らしているので、このワンプレートのみで過不足なくお腹が満たされた。

 

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疲労回復目的で今日も近所の銭湯へ。信号運がよければママチャリをすっ飛ばして6分で行ける。いつもどおり交代浴と温泉で1時間ほど過ごす。しかし銭湯に行くといつも思うのは、浴槽内で顔を洗ったり、かけ湯をバッシャバシャと飛び散らせたりシャワーを周囲にかけまくったりと、マナー悪いな感じるのはほとんどが高齢者。。こういう人に限って「近頃の若者は〜」とか言ってるんちゃうかと思っちゃうのは偏見かしらね。

 

ノクターナルアニマルズ


高校生の頃、ハイファッション系(死語?)の雑誌で目にしていた印象が強いトム・フォード。なのでファッションデザイナーとしての認識しかなかったんだけど、これほど質の高い映画を撮る人だとは知らなんだ。天は二物を与える。


粗筋をざっくり書くと、アート・ギャラリーを経営し、イケメンの旦那とセレブな暮らしを送るスーザン(エイミー・アダムス)の元へ、若かりし頃に離婚した元夫であり作家のヘンリー(ジェイク・ギレンホール)から、彼の新作であるという『ノクターナルアニマルズ(夜の獣たち)』という小説が届けられる。物語は、夜毎その小説を読み進める現在のスーザン、小説中の虚構の世界、そして過去のスーザンが断片的に繋がれる形で進展する。深読みしようと思えばいくらでも出来てしまうだろう多分なメタファーを孕みつつ、一本芯の通った緊張感を途切れさせずスリリングかつ重厚に交差する展開に惹きこまれる。


とりわけ『夜の獣たち』の小説パートにおける、暴力的だが絶妙に抑制の効いて見えるシーンが全体を強烈に印象づけている。小説世界の中で、残虐な行為によって自分の大切な存在を奪われた男が行う「復讐」は、かつて現実世界でエイミーに捨てられたヘンリーのそれへと容易に重ね合わされる。


虚構の物語が展開するテキサスの渇ききった広大な原風景と、エイミーが生きる煌びやかだが歪な生々しさを感じる現代アートに囲まれた空間の対比は、それだけで観る側に強いインパクトを与える。それでいて、それがTooMuchなあざとさを全く意識させないところにトム・フォード監督の上手さを感じる。「抑制の効いた」とか「計算された美しさが横溢する」だとかいう形容を"ファッションデザイナー畑の"監督に向けることはどうしてもネガティヴに取られてしまいそうで躊躇うのだけど、本当に力のある監督の手によって配置された荒々しい美しさをもったシークエンスは、全体で強烈に深い余韻を湛える物語として完成されている。オススメ。

 

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晩ごはんは和食で。実家から貰って帰った新米のゴハンが美味しすぎる。。

| かっつん | 20:04 | comments(0) | - | pookmark |
食品系ドキュメンタリー2本

健康って何?(原題:WHAT THE HEALTH)

 

たぶん食に関するドキュメンタリーの中ではわりと有名な作品。肉や乳製品の摂取が、がんを始めとするありとあらゆる疾患の原因となっていると主張し、植物中心の食生活=ヴィーガン(完全菜食主義)を提唱している。印象に残ったポイントとしては


・全米○○協会みたいな組織には、実は大手ファーストフード・チェーンや食品関係、薬品会社などにスポンサードされているものが多い。
→場合によっては、その○○協会が本来撲滅すべきはずの疾患の原因ともなりうる食品で儲けている会社から金品を貰っていて、本当にその疾患を根絶する意識はあるのか!?あるいは薬品会社などはその疾患に対する治療薬を販売して儲けているのに、これまたこの病気を根絶させてしまったら商売あがったりになっちゃうんじゃないのか、という矛盾
・人間が食べるために大量飼育される家畜が置かれている劣悪な環境
→自分たちが摂取している食肉の背景に、こうした動物虐待としか言いようのない実態があることに対する倫理的な抵抗感。あるいは不衛生な環境下で飼育されることによる抗生物質漬け、汚染まみれの肉や乳製品を摂取することに対する多大なリスク。


この2点は無視できないところだと思った。しかしその一方で、この作品の主張するところは少なからず偏向的で脅迫的なところがあるように感じたのも確か。作品では冒頭から「食肉は発がんリスクを増大させる」という"研究結果"を取り上げたニュース映像を繰り返しセンセーショナルに引用し、次いで「糖尿病や心臓疾患の原因って実は炭水化物(糖質)じゃないんだよ。実は本当にヤバいのね、、、」といった感じで食肉や乳製品の害悪をかなりショッキングに並べ立てていく。


「乳製品や肉類の脂肪は血管にへばりついてコレステロールの壁になり、炭水化物の吸収を阻害し、心臓病や糖尿病のリスクを高めるんだよ」とかいうのはまだ分からんでもないがチーズを「牛の膿」と形容し、牛乳は「ホルモン物質を多量に含んでいて、乳がんや子宮がんのリスクを増大させるだけ。人間が飲むようなもんじゃない」とする。加えて一般的には牛や豚と比べてヘルシーなイメージの強い鶏肉については「食肉の中では最も汚染されていて危険」だとし、魚についても天然養殖問わず「濃縮された汚染物質を取り込むことになるからダメ」だと。


監督のキップ・アンダーセンは、こうした主張を裏付け補強するような"リサーチ"や識者の"意見"をもって、上述したような各種○○協会にインタビューしたりするんだけど、その様子はなんだかあまりにも排他的一方的で、相手の意見やその主張する根拠は「全部嘘だ」と決めつけハナから受け入れる余地がない姿は見ていて不快。じゃああんたが根拠としている"リサーチ"にはどれだけ信頼性があるのか?あるいはその論文を発表している研究機関には何ら矛盾する資金提供はされておらず100%クリーンだと言えるのか?さらにはこの映画の中で"証言"している医師や栄養士はどれだけ信用できるのか?と聞いてみたくなる。それに作品の中では「たとえオーガニックなビーフや乳製品でも、結局はその飼育されている土壌が汚染されているから無駄」みたいなこと言ってるけど、じゃあ完全菜食主義のあんたが食べている野菜や穀類にはそうした農薬や化学物質汚染からまったく無縁でいられるのか?と。


食品に限った話ではないが、物事というのは必ず多面的な見方が可能であって、結果的にその表すところが真逆であるなんてことは珍しくもなんともない。この作品が並べ立てる主張もある一面では事実だろうけど、じゃあそれ以外が全て「国家レベルの陰謀に塗れた嘘っぱち」だと考えるのはちょっと短絡的に過ぎる。これまで病院から処方される大量の薬漬けで歩くこともままならなかったような病人が、たった数週間「菜食」に取り組んだだけでそれが全部治っちゃった、みたいな事例を万人に当て嵌められる真実みたいに喧伝されちゃうと、逆に胡散臭さが漂ってくる。歳をとってでっぷりと太った白人を見ていると、もはや肉を食ったとか食わないとかのレベルではなく、生活習慣のいろんなところに問題があり過ぎやろ、と思う。正しく生活習慣病。


いちおう断っておくと、別に自分はヴィーガンやベジタリアンを否定したいわけではない。史上最強のウルトラランナーと言われるスコット・ジュレクが完全菜食主義者として知られているように、トップアスリートの中にもヴィーガンを実践している人は多く、そうした点からも個人的には菜食主義に興味はある。加えて、自分が口にするものがどういったものからどうやって作られているのか?ということに自覚的になることは非常に大切だと感じている。ただ、基本的に「万人とって万能」な食品や食生活なんてものはないと思うし、極端に偏った食生活にはリスクが伴う、とも感じている。自分で考える判断材料の一つとしてこうしたドキュメンタリーを観るのはとても有用だと思うけど、それにしては少々プロパガンダ的な要素が強過ぎる作品だと思った。

 

あまくない砂糖の話

 


NETFLIXオリジナルのドキュメンタリーにはかなり面白いものが多く、これだけでも契約する価値があるなと思うぐらい。さて今作は、結論から言えば個人的な評価は6/10ぐらい。現代社会に蔓延する「砂糖」の危険性について、自らが約2ヶ月間それを摂取しその結果を記録することで証明していくといういわゆる「スーパー・サイズ・ミー」系の作品。「スーパーサイズミー」以降、この手法自体にはもはや斬新さはなくなってしまっているので、それプラスαのポイントがないと正直二番煎じな感は否めない。個人的には精製糖の中毒性や危険性はかなりのものだと感じていて、と同時に自分でスイーツなどを焼くようになってからは、市販のアレやコレに含まれる砂糖の量は想像を絶するレベルで多い、ということも判ってきた。小麦粉もそうだけど、砂糖が持つ中毒性はたぶん危険薬物のそれと何ら変わりないだろう。本作でもその辺のヤバさが実証的に示されていて、意図的に砂糖を過剰摂取していく監督が、身体的にというよりは明らかに精神的にヤラれていく様がかなり怖い。なもんで監督の元気がどんどんなくなっていくせいか、作品が若干中だるみしてしまってる感もあったけど、全体的にはポイントをしっかりとコンパクトにまとめた感じで面白かった。

| かっつん | 21:14 | comments(0) | - | pookmark |
ありのままを受け入れることができる日常の尊さ

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5月13日日曜日。ロング走の翌日はバイクトレでにしたほうが身体の負担が少なく、より効果的な練習ができるっぽいことが先週分かったので、今朝も表から六甲山へ上るべく準備はしておいた。が、起きてみると今にも降り出しそうな空模様。近場を自転車で流す案もあったけど、やっぱり雨中のバイク実走はイヤだったので結局はジョグへ。蓄積疲労で脚はかなり重く、走り出して間もなく雨がポツポツ。ランだとこの時期の雨はむしろ気持ちが良いぐらいだと思いながら六甲アイランドを周回。途中からかなり本降りになってきて、またこれでiPodが水没故障するんじゃないかとヒヤヒヤしながら15kmの回復走をこなして帰宅。昨日焼いたチョコレートスコーンで朝ごパン。

 

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人気タイ料理店Mango Tree Kitchenのレシピ本を買ったので、そこから2品だけ作ってお昼ゴハン。どちらもこれまで何度か作ったことがある料理だけど、ちょっとしたポイントで仕上がりは大きく変わるんだなーとあらためて実感。タイ料理はスパイスにフレッシュなものを使うことが多いため、日本だとそれを調達するのがかなり難しくハードルが高いけど、これから暑い季節になるのでできるだけ色々作ってみたいな。

 

『パターソン』


この日観た映画。トム・クルーズが何度も何度もぶっ殺されては甦って地球外生命体の親玉へ切り込んでいく作品や、あるいは人類の未来を背負って旅立ったマシュー・マコノヒーが果てしなき時空の流れの先に娘と再会するスペクタクル巨編、洗練された英国紳士が「'Manners Maketh Man'」とかなんとか言いながらサミュエル・L・ジャクソン並びにジュリアン・ムーアが体現する「巨悪」とクールにバトルする、そんな作品も大好物だけれども、一方で本作のような基本的に「何も起こらない」日常を切り撮った風の映画にもまた違った感情によって強く惹きつけられることがままある。

 


アダム・ドライバーがバスのドライバー役だというそこだけ取るとギャグみたいな設定だけど、ジム・ジャームッシュ監督による本作は、生まれ育ったその町と同じ名前を持つパターソン(アダム・ドライバー)の1週間を静かに、しかしどこか不思議な空気感をもって映している。


寡黙で、毎朝決まった時間に起きてシリアルを食べ、彼女が作ったサンドイッチを手に職場まで歩いていってバスの運転業務をこなし、同僚の軽い愚痴を受け止めてあげながらまた歩いて自宅へ帰り、彼女が作った夕食を食べてから愛犬マーヴィン(めちゃキュートなイングリッシュ・ブルドッグ)の散歩がてら小さなBarで1杯だけビールを飲んで帰る、という毎日。多くを語ったり感情を表に出すことの少ない人のようで、その内面は少し推し量りがたいところがある感じ。毎日ちょっとした時間に詩作をノートに書きつけているところが、唯一変わったところかしらん。随所に挿し込まれる詩篇の温かな情感が、作品に決定的な空気感を与え、ストーリーの核となっている。


そんな穏やかなパターソンの日常にあって、少しスパイシーなアクセントとなっているのが一緒に住んでいる彼女のローラ。エキゾチックな面立ちでかなりクリエイティヴな性格の彼女は、家中の壁やシャワーカーテン、あるいは自分の服までペイントしてみたり、壁にはいたるところに彼女の描いた絵が飾られていて、料理も独創的なアレンジを加えて作ってみたり、、、といった具合。一見すると内省的なパターソンの日常とは馴染まないような向きもあり、映画的に見ればそんな2人の間のちょっとしたすれ違いや摩擦でもってストーリーに起伏をつけてくるのかな?という予感もさせる。


が、実際にはそんなことは起こらない。ローラは毎日きっちりと仕事をこなして帰るパターソンのことを深く信頼し尊敬していて、彼が書き留める詩篇を心から愛しその価値を認めていることが分かる。同様にパターソンも彼女の存在を何よりも大切にし、その夢をそっと後押しするかのように寄り添っていて、本当に彼女のことを深く愛しているんだなということが作品が進むごとに伝わってくる。


何も起こらない、と書いたけど、たとえばある日の運転中にはバスの電気系統が故障するトラブルに見舞われたり、いつものいきつけのBarでは、他の常連客の色恋沙汰から銃が持ち出されてちょっとした騒ぎになったりと、よくよく現実世界の基準で見ればそれだけで「普通じゃない」要素も散りばめられてはいる。が、それでもやっぱりごく一般的な映画の「エンターテイメント性」からすれば「何も起こらない」と言ってもよさそうなさざなみ程度の騒ぎに収斂している。

 

たとえばある晩、パターソンが愛犬を散歩させながらBarのほうへ向かって歩いていると、Hip Hopの重低音を響かせた「いかにも」なイカつい黒人4人組が乗った車とすれ違う。彼らはパターソンに「よぉ、いい犬だな」みたいに声をかける。「最近その種類の犬は人気だから、ワンジャックされないように気をつけな」みたいなことも。かたや映画"John Wick"では、アホなマフィアに目をつけられたばっかりに、寝込みを襲われ愛車を奪われ、命よりも大切に思っていた愛犬を惨殺されたキアヌ・リーヴスがブチ切れてたった一人で組織にかち込みをかけるというストーリーに発展するわけだけど、この"パターソン"では先の黒人が別に難癖つけて絡んでくるわけでもなく、結局その後の展開において「ワンジャック」が起きることもない笑。万事がそういった感じで、これが並みの監督の作品だったとしたらとにかく襲い来る睡魔と格闘せねばならんような退屈さに繋がりそうだけど、こんなありふれた日常に潜むかけがえのない感情を完璧にとらえたジム・ジャームッシュ監督の才能は素晴らしいの一言。良い映画だった。

 

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晩ごはんは餃子。明日からの仕事を思うと気が滅入る・・・

| かっつん | 21:31 | comments(0) | - | pookmark |
ダンケルク


この人の作品は劇場で観たいと思わされる数少ない映画監督/クリストファー・ノーランの最新作。が、実はこの作品本来の規格で上映可能なシアターは全世界にも数えるほどしかないらしい。そして残念ながら日本国内には対応する映画館は存在しない。これについては後述。


『ダークナイト ライジング』と『インターステラー』が自分の中では最上級の映画体験として記憶されているノーラン作品。今作『ダンケルク』は、ノーラン監督としては初となる、史実に題材をとった戦争映画。1940年5月、ナチス・ドイツの電撃侵攻により、フランスの海岸線の街ダンケルクに追い詰められた連合軍兵士40万人の撤退と救出を描いた本作。


冒頭、完全に人の気配が絶え、降伏勧告のビラが舞い落ちるダンケルクの街頭を歩く英軍の歩兵。荒廃の中に重厚な美を感じさせる絵画のような情景(どこかダークナイトの世界観にも通ずる)に息を呑む。直後、大音響で破裂する銃声。前作『インターステラー』の音圧も凄まじかったが、今作における銃撃や、サイレンを鳴らしながら急降下してくる戦闘機の生々しい圧力は尋常でない。銃撃の雨の中を走り抜け、路地を抜け出るとそこには茫漠とした海岸線が広がっており、この死地からの救出を待つ連合軍の兵士たちが列を成している・・・。今作では当時コードネーム「ダイナモ作戦」と名付けられた英軍主体の軍事的撤退作戦を、陸海空の3つの異なる視点から描写する。ダンケルクで救出を待つ兵士たちの1週間、イギリス本土から兵士たちの救援に向かう商船の1日、そして英国が誇る戦闘機スピットファイアを駆る空軍パイロットの1時間。これらの時系列/空間を異にする視点が並行して展開され、ある一点へと向け集約されていく。


まず印象的だったのが、極端に台詞の少ないその展開。この「言葉を発しない」というのは作品中の一つの伏線として機能していたりもするのだが、ここからはそれ以上に「作品から物語性を排する」というノーラン監督の意図を見て取れるようにも思う。登場する兵士たちの背景が語られることは一切なく、そのほとんどは名前すら不明である。フィン・ホワイトヘッド演じる英国陸軍二等兵のトミーにしてみても、その名称は当時の英軍全体を呼称する一種のスラングだったそうで、つまりは多くの個性といったものがここでは剥ぎ取られている(全ての人物や事象を宗教絵画のように象徴的な意味を持たせた"存在"として描いている、と評している人もいた)。ちなみにノーラン監督の作品にはお馴染みのキリアン・マーフィーに至っては今作でもかなりのシーンで登場しているにも関わらず、クレジットには「Shivering Soldier(震える兵士)」としか書かれておらず、当然の如くその背景描写などは一切行われない。作中で最も「物語性」をもった人物と言えそうなのが、自らの商船でダンケルクの兵士たちを救出に向かう民間人ミスター・ドーソンだけど、この人にしたって、終盤にかけてその動機や背景が少しだけ匂わされる程度。


かつて『プライベートライアン』を初めて観た時、機銃になぎ倒され砲撃に肉体が引き千切られるそのあまりに凄まじく生々しい戦闘シーンに、それまで漠然と抱いていた「なんとなく自分だけは死なない」というような無意識の思い(願望)は消し飛んで「あぁ、こんなところに行ったら自分は万に一つも助からないな」という圧倒的な無力さを感じたのを覚えているけど、この『ダンケルク』からはまた違った角度から、そうした戦争における「個の無力さ」や無意味さみたいなものを感じさせられる。大局はおろか、敵の姿すらも見えないまま(作中でドイツ兵の姿は一瞬たりとも登場しない)差し迫った死に飲みこまれないことだけを祈りながら文字通り必死に逃げる続けるという構図は、今作の通奏低音のように全編を貫いているが、そこではもはや個人の意思や能力などほとんど何の意味もないように映る。


日常の世界であれば、一人の人間が生きているとき、そこには人それぞれに意思や個性があり、それぞれに家族や友人や多くの人たちとの関係の中でたくさんの「物語」を見ることができる。だけど、そうした個性や意思が何の意味も持たず、物語は消滅して「40万人の兵士たち」というたった一語に集約されてしまうのが戦争なんだと強く感じる。先のプライベートライアンでは"ライアン二等兵を救出する"という目的のためにトムハンクス演じるジョン・ミラー隊が動くという「物語」があった。そこには登場人物それぞれに個性があり、圧倒的な死の恐怖に覆われながらもそれぞれの行動や意思には意味があるように見えた。対してこの『ダンケルク』では、そこに意義や意味を持って行動している人間というのは限りなく少ないように映り、ただただ絶望的な「状況」だけが圧倒的な力でもって連続して降りかかってくる。その恐怖の入り混じった無力感や無意味さに戦争のリアルさを覚えた。


そんな物語性のない映画のいったい何が面白いのか?と疑問に思う向きもあるかもしれないが、そこはもう、クリストファー・ノーラン監督が描く画の力を観てほしい、としか言いようがない。冒頭のシーンを始め、英国空軍のパイロットの視点による海峡の景色、あるいは残照に染まるダンケルクの街を背景に滑空するスピットファイアの情景など、戦争映画にこう言ってしまうのも不謹慎な気もするけれど、そこにはやはり映像美と言える美しさが宿っていた。デジタル一色の時代に、アナログの手法にこだわり続けるノーラン監督は、本作の多くをIMAX70mmという超大判フィルムによって撮影している。そして冒頭に書いたように、通常の劇場ではこの規格で上映できず、なんと約40%も画面がカットされた状態で鑑賞することになる。40%って、、、(絶句)って感じなのだが、大阪のエキスポシティにある109シネマズのIMAX次世代レーザーであれば、画面のアスペクト比などはかなりオリジナルに近い状態で観られるとのこと。この映画は音響も含めて、劇場で観るのと自宅のテレビで観るのとでは感覚に大きな差が出てくるだろうから、予告編(字幕のない海外のもののほうが本編の雰囲気をよく伝えている)を見てちょっとでも気になった人はすぐさま劇場へ走ったほうがいい、と思う。自分も時間が許せばエキスポまでもう1回観に行きたいところ。

 

 

 

| かっつん | 21:02 | comments(0) | - | pookmark |
セカイノミカタ


10月16日日曜日。夜中に軽くパニくってしまった関係で非常に悪い寝起き。もう7時前だったのでとりあえず朝ごはんを食べようかと思ったが、やっぱり軽く走っておこうと思いジョグへ。疲れが溜まっているようで体感的にもあまり楽ではなく、後で見てもペースのわりに心拍が高かった。ただ、走り終わった後のほうが身体は楽になる感じ。

 

朝ごはんは久しぶりにワッフル。珍しくバターとベーキングパウダーも使って、軽くチョコレートのグレーズも施したカロリー高めな仕様。粉は強力粉と米粉のハーフ&ハーフ。

 

午前中は家のことをしたり、バタバタと。ファラフェルを揚げて、ホブス(中東のピタパン)を焼いて、たっぷりの野菜と一緒にサンドして昼ごはん。

 

チリスープを作ったりさつま芋のプリンを作るつもりがスイートポテト状になったりしつつ夕方にローラー。やっぱりこの時間帯は身体が動きやすく、お疲れ気味でも映画を観ながら200w近くが無理なく出せる感じ。理想としては、このぐらいの体感強度であと20wほど底上げできれば。自転車に関して言うと、どうしても過度なウェイトコントロールやそのための食事制限が伴うヒルクライムレースには以前ほど意欲が湧かなくなっている。チャンピオンクラスで戦えるぐらいのポテンシャルが自分にあるのなら話は別だが、メンタルやフィジカルに多大な犠牲を払って得られるのが年代別の表彰台、という結果だとすればなんだか割に合わない。

 


晩ごはんはパクチー餃子。奥さんの餃子を包む腕前が異常に上手くなっている件。挽き肉には紹興酒などで味つけ。ごま油でパリっと揚げていただきました。

 

この日観た映画。キレッキレの殺戮シーンがスタイリッシュでぶっ飛んでいて、でもそのやり口は相当に徹底していて実はグロい、という面で以前観た「キングスマン」を思い出させるところアリ(と思って調べてみたら原作者と監督が同じだった・・・)。

 

 

これ、観る人によって受け取る感覚がずいぶん違うんだろうなー。どうやら原作とは主たるキャラクターの設定がビミョーにしかし根底から改変されているようで、なるほどその根っこの視点をちょこっと変えて眺めてみると、この映画で発散され(て見え)る単純な「善悪」の構図やバイオレンスな爽快感はある意味で陰惨な狂気を孕んだモノへと転ずるところがある。ただこの映画では先の改変設定をもって序盤からうまーいこと「善悪」の構図でリーディングするため、画面から感じるのは「ヒットガール可愛い強えー!!」っという感覚に終始するわけ。でも、ところどころでなんともいえない異物感というか、爽快さの中に一瞬感じるザラりとした感覚みたいなものが、おそらくはビミョーに残された原作のエグい部分なのかなーと思った。

| かっつん | 21:36 | comments(0) | - | pookmark |
インターステラー


有休がとれたので朝から映画館へ。わたくしの大好きなノーラン監督の最新作。会長もオススメしていたのでこれは絶対に映画館で観たい!と思っていたんだけど、、、その大きな期待に見事、応えてくれる素晴らしい作品だった。壮大なビジュアルと、通奏低音のように流れる重厚な叙情性に呑み込まれた170分間。ともすれば広げた風呂敷の面積だけが大きくてその紋様はきわめて平凡、ともなりかねないストーリーなのに、なんだろう、この格調の高さすら感じさせる荘厳な世界観は。圧倒的な宇宙の描写が生み出す静寂。そしてその静寂の背後にあるのは虚無とは反対の美しい情感。この叙情的な世界観がたまらんかった。結構なハードSFモノでもあるよと聞いていたので、物理学の知識がゼロに等しい文系人間の自分が観たら「???」になるのでは、、、という心配もあったが、杞憂。ただ、ストーリーの肝でもある「時間」という概念にまつわる複線やそれらが収束する着地点に立ったときの感覚(感動といってもいいだろう)は、たぶんそうした物理学の知識が体感として伴っている人とそうでない人とではずいぶん違うだろうなとは思った。DVDでももう一度観ると思うけど、これはやっぱり劇場で観ることができて良かった。



帰ってから今日の晩ごはん用に大根と豚ばら肉の煮込みと五目きんぴらを作り、奥さんの朝ごはん用にグラノーラを焼いた。夕方近くになって雨が止んだのでジョギングへ。遅めにとった昼ゴハンがまだ消化しきれてない感じだったので無理のないペースでいったが、それでも体感的にはそれほど楽ではなかった。走り出して間もなく真っ暗になってしまったため、LAPは一度も確認しないまま15km。帰ってきたらやけに喉が渇いていたので、水分補給が不十分だったかもしれん。

| かっつん | 21:11 | comments(0) | - | pookmark |
マイ・バック・ページ@神戸国際松竹


『天然コケッコー』以来久々となる、待望の山下淳弘監督作品。作品解説には

反戦運動や全共闘運動が激しかった1969年から1972年という時代を背景に、理想に燃える記者が左翼思想の学生と出会い、奇妙なきずなで結ばれていく社会派エンターテインメント

とか書かれていたが、そこは山下監督、その視点は特殊な「時代」ではなく完全に「人」そのものに向かっていた。東大を卒業しジャーナリストになったものの、傍から見守ることしか出来なかった全共闘運動に対して一抹のセンチメンタルをひきずる記者/沢田を妻夫木聡が、一方で東大安田講堂が陥落し、学生運動が下火に向かっていく中、なおそこへ取り付き高らかな理想を口にする左翼学生を松山ケンイチが演じている。

しかし「全共闘」という特殊なフィルターを除いて見てみれば、ここに描かれているのは「英雄(ホンモノ)になりたい」人間と「ホンモノに憧れ、そこへ近づくことで自分も変わりたい」と考える人間の痛々しい(そして少なからず愛しい)関係という、言ってみれば「あー、いるよねぇこういう人」といういつの時代も変わらない人間模様なのだ。「革命」を語る口先こそ多少達者だが、一度会ったベテラン記者に「ありゃあニセモンだ」と看破されてしまうどうしようもなさが漂う学生運動家の梅山だが、しかしその上辺に惑わされ、付いていってしまう人間もまたおるんである。あいつとはもう関わるな、と釘を刺されつつ、近寄っていってしまう沢田の"一度信じたものを、信じていたい"ような心情は哀しいほどによく分かるが、ニセのカリスマと、それを信奉しあるいは巻き込まれた人間が転がる先の結末は、やはりロクでもないもんである。

それにしても、上っ面の、しょうもない我欲に巻き込まれて人が死んでしまう、というほどの「悲劇」は、これまでの作品でも登場しなかった重い衝撃をもっており、今作ではこの辺の扱いが作品に深い深い陰影を与えている。ラストシーンで沢田が言われた「生きてりゃいいっしょ」という言葉は、図らずも彼が記してしまった事実を考えると、やはり途轍もなく重い。生きることを奪われた人間と、それを奪ってしまった過去を背負っていく人間。願わくば、とめどなく溢れる涙が、本人や関係する人々の魂を洗い流してくれればと思わずにはいられない。そしてそう信じれるような美しい浄化作用が、ラストの涙にはあったようにも感じる。

今回、そのニセモンっぷりを遺憾なく画面から滲ませてみせた松山ケンイチや、山内圭哉、長塚圭史といった役者の怪演もさることながら(山下作品でお馴染みの山本浩司もちゃんと出ていた)、先の落涙のシーンをはじめ、妻夫木聡が醸しだすニュアンスにはたまらないものがあった。鑑賞後に思わず反芻してその余韻に浸ってしまうような、深みのある良作。奥田民生と真心ブラザーズがカヴァーするBob DylanのMy Back Pagesにもグッときました。









『どんてん生活』の感想は⇒コチラ
『松ヶ根乱射事件』の感想は⇒コチラ
『天然コケッコー』の感想は⇒コチラ

| かっつん | 23:51 | comments(0) | - | pookmark |

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